JG7MER / Ackee

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記事一覧(23)

若い女性世代を中心に人気復権の『固形石鹸』 !! (=◇=;)

読者の皆さんも一日一回以上必ず利用しているものとなれば、『ソープ=石鹸』と言う事になるだろう。洗顔、入浴、外出先から帰宅した際や、食事前やトイレ使用後の手洗い等によく利用されている。(^-^)/ 石鹸もここ最近は、固形から液体式が主流になり、所謂ポンプ式タイプを筆頭に更には詰め替え出来るものも発売されている。洗顔と言えば「洗顔フォーム」、石鹸と言えば「泡石鹸」が固定概念常識と成りつつある世の中で、中高年世代にとっては固形石鹸を使う事は当たり前の時代であったが、若年層にとっては液体式を利用している事が当たり前となり、若年層世代にとっては、固形石鹸に対して何かとピンと来ない感じがこれまではあった。(^-^)/ しかしここ最近は少し様子が変わって来ている様である。20代や30代の女性を中心に、固形石鹸ブームが密かに起きていると言うのだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ 固形石鹸は、平成03(1991)年をピークに6割減と大幅に市場が縮小していたが、ここ最近では業績回復傾向が明確になっている。Σ(~∀~||;) それは固形石鹸市場を二分し、老舗格である牛乳石鹸の業績が5期連続増収増益となっているからである。固形石鹸市場で牛乳石鹸は、同じライバルである花王を抜いて日本一になっているからだ。 これまでの固形石鹸の市場縮小の背景要因としては、液体形状等の新しいカテゴリーに置き換わっていった事が最大の要因だが、ここに来てパッケージから『赤箱女子』と呼ばれるファンが登場している。小さなカテゴリーと言えども、なぜか固形石鹸人気が復活しているのである。牛乳石鹸のホームページ内にある『赤箱女子』のサイトに因ると、「しっかり洗えるんだけど“さっぱり”する。ベタベタしないけれど“しっかり落ちる感”があって大好きです」と言ったコメントが寄せられている。ポイントの1つ目は【洗い心地】が優れて、泡の粒が細かくクリーミーな部分が高い評価を得ているようだ。そして2つ目のポイントが【お手頃価格】が評価されている様である。牛乳石鹸『赤箱』は1個100円程度であり、液体石鹸では詰め替え用でも300円程度が相場だと言う。また牛乳石鹸は無くならない感覚があり、お得感がありそれがどうも固形石鹸人気復権の鍵を握っている様である。更にもうひとつ固形石鹸ブームを押し上げている背景のひとつには???若い女性の間で安い金額でたくさん使える化粧品「プチプラコスメ」のブームの影響が背景にある様だと専門家はこう分析している。更には、最近起こっているアトピー性の皮膚炎やトラブルに対してだけでなく、幼児やお年寄りに至るまで老若男女問わずに使えるメリットがあり、お肌に優しい事から、皮膚科の医師らも強く奨めていると言うのだ。牛乳石鹸共進社の担当者の話によると「ここ5年程で毎年10%ぐらい、売り上げを伸ばして来ています」とこの様に話す。また実際に固形石鹸を使用してみてその効能をツィッターサイトに紹介している一例もある。「筆者は何度か途中で浮気心が芽生えて、違う洗顔料などに手を出したものの、そのたびに頬に吹き出物や斑な赤みが出てきてしまい、結局赤箱に戻って肌が落ち着く、の繰り返し。また、夫は敏感肌(軽いアトピー体質)なのですが、赤箱で体を洗うと非常に調子が良いとの事。洗い過ぎによる乾燥を心配して、何度か敢えて使わない日を設けた事もあるものの、 逆に肌に痒みが出てしまい、毎日洗った方がトラブルがないそうです。」と30代の女性は、使用した後の感想をこの様に語った。またもうひとりのツィッターサイトへ投稿した20代の女性は「洗い流す時の滑りがなく泡切れも、 洗い上がりのツッパリ感もなく、余程の秋冬の乾燥が激しい季節出ない限りは顔も身体も「急いで保湿しなくては!!!!」と焦らなくても気にならない程の使用感、と言うのが個人的な感想です。」と使用後の実感をこう語っている。余談であるが、この牛乳石鹸の『赤箱』タイプは、しっとりタイプで関西圏が主流。『青箱』タイプはさっぱりタイプで、こちらは1個85円で販売され主に関西圏以外が主流だと言う。(=◇=;) ここ最近、液体式ソープに押し切られ気味で、 ピーク時の約6割減と、固形石鹸市場が消滅するのではないかという悲観論までもが蔓延し、しかも液体式ソープ市場の売り上げトップとの差を逆転するには、50%も伸ばさなければならない厳しい状況にあった、固形石鹸市場。(°д°;) しかしここに来て液体式ソープの便利さの裏に潜む死角による、皮膚へのアトピー性皮膚炎や赤み炎症といった皮膚系のトラブルも目に見えない処で起こる様になった。「ソープ=石鹸」自体を作るまでの課程に於ける、品質工程による影響も背景にはあるのだろうか。その反動からなのか、ここに来て各地域で古くから使われていた、地元ゆかりの・石鹸ブランドも含め、昔ながらの釜焚き製法による、固形石鹸が若年層世代を中心に徐々に見直され始めて来た。その結果お肌のトラブルも改善しつつあると言う報告事例が目立って増えて来ているのも、固形石鹸ブームを押し上げるひとつの要因なっている様である。(=◇=;)  お肌とお財布、それぞれへの優しさへの思い遣り…。それはやはり世代を超えて次の世代へ引き継がれて繰り返すという事に他ならない様である。(・∀・)

宮城の新ブランド米『だて正夢』いよいよ今年10月24日から、本格市場参入へ !! (σ*^―^*)ゝ*

季節も神無月・10月。所謂、中秋の季節真っ只中である。街中のスーパーや小売店、デパ地下の食品コーナーに行くと、全国各地からの秋の恵みが所狭しとコーナーに並べられている。秋の味覚はたまた『みのりの宴(うたげ)』の代表となれば、日本人の主食であるお米と言う事に辿り着くであろう。そして本県・コメ処宮城からは、昨年お披露目をした新ブランド米である『だて正夢』がいよいよ今年から本格的に市場に登場する事になる。(^-^)/ 昨年11月06日に宮城県庁で初めてのお披露目会。そして同年11月07日に県内で一般向け先行販売が開始され、百貨店や量販店、米殻店など約200店舗で販売。品切れが相次ぎ、約10日間で全農(JA)宮城県本部が予定していた予定数の出荷が完了した。首都圏では昨年11月29日から販売を開始し、東京銀座・松屋では、本県出身のお笑い芸人「サンドウィッチマン」の二人がプレデビュー発表会に登場するなど、新ブランド米のPRにも力を注いで来た。そしていよいよ、新ブランド米『だて正夢』の市場本格参入元年となった今年。高価格帯の銘柄米として今秋に本格デビューする県産米の新品種『だて正夢』の作付けが今年05月16日、仙台市若林区の水田で行われた、当日は村井嘉浩宮城県知事も同席し、知事自ら田植えを体験した。地元若手農家(37)に、作業の手順などを教わった村井知事は、50アールの水田に入って田植え機を操縦し、苗を植えて行った。地元若手農家が所有する水田16.5 ヘクタールのうち、1ヘクタールで初めて『だて正夢』を栽培した。水田は東日本大震災の津波で浸水し、瓦礫撤去や圃場整備を経て、平成28(2016)年に作付けを再開した。田植え作業が終わった後、村井知事は「他産地との差別化を図り、県産米全体を引っ張っていけるコメに育ってほしい」と期待を寄せた。水田所有地元若手農家は「震災から7年が経ち、新品種を作付け出来る喜びを感じる。宮城米の消費拡大に貢献したい」と話し、刈取りの日となるこの日を待ち侘びていた。(^-^)/ そして先般09月20日、村井知事は再び、仙台市若林区で05月に植えた『だて正夢』の稲刈りを体験した。知事は、5月中旬に田植えをした地元若手農家の田んぼに入り、コンバインに乗り込んで実りを確かめながら期待の新米を刈り取った。水田所有者、曰く「今年初めて1ヘクタールで『だて正夢』を栽培した。ひとめぼれの栽培方法と違う点もあり難しかったが、天候に恵まれよい実りになった。県産米の消費拡大とブランド確立に向けた起爆剤になって欲しい」と大きな期待を寄せた。現場に立ち会った村井知事は「18年産(だて正夢)は食べたいと望む、全ての人に行き届くと思う。県内は勿論、首都圏を中心に売り込みたい」と意気込みを語り、2018年産の販売開始日を10月24日にすると発表した。またこれに先立ち、先般09月20日には、地方活性化や観光振興をテーマに全国の自治体や企業が参加する商談会『2018 “よい仕事おこし” フェア』が、東京・有楽町の東京国際フォーラムであり、本県在住・歌手のさとう宗幸さんらが、宮城県産米の新品種『だて正夢』をPRした。宗さんは、歌手の庄子真理子さんと共に特設ステージで「青葉城恋唄」、「花は咲く」などを披露。宗さん曰く「東日本大震災からの復興に、全国から多くの支援を頂いた。m(_ _)m 被災地の状況も大分変わり、子供達も落ち着きを取り戻しつつある」とこう話した。10月24日に本格デビューする『だて正夢』のおにぎりを味わい「冷めても十分に美味しさが伝わってくる。宮城は海も山も食材の宝庫。是非、宮城の食を楽しんで欲しい」と呼び掛けた。(*^▽^*)ノ* 宮城県によると、2018年産『だて正夢』の作付面積は301ヘクタールで、約1,500トンの出荷を見込んでいると言う。最近のコメ市場を拝見すると10年程前は、特Aを獲れるお米は、各県とも新潟県産を受け継ぐ「コシヒカリ」の独断場で、正に金城湯池の状況だった。しかし、ここ最近の傾向として、各地の農業試験場や農家の方の努力で、地域色溢れる「ブランド米」が多くラインナップされるようになって来た。このため昨年は、毎年特Aの常連と言われていた『新潟魚沼産 コシヒカリ』が最高評価から陥落する等、異変も目立ち始めて来ている。\(゜□゜)/  コメ市場も減反政策の廃止に伴い、最近は各地で休耕田状態となった、圃場の整備が目立ち始めてきた。新規で参入する法人やこれまで農業分野とは懸け離れた企業関係の参入も見受けられる。農業自体を新しいビジネスモデルとして大区画圃場として整備しようとしているのが目立っている。日本の穀倉地帯と言われてきた宮城県もここの処、消費者の食の多様化やコメ離れに押され気味で、コメの消費も含めブランド米としての看板もやや落ち込み気味だった。食の好みと言うのも当然、算定基準にも入る。コメ市場戦国時代を言われる最中、いよいよ10月24日から全国向けの市場に出荷される『だて正夢』。果たして戦国の武将・伊達政宗公が果たし得なかった天下盗りの野望をコメ市場に於いて、そのネーミングで持って天下を盗る事が出来るのか、間もなく市場参入の火蓋が切って落とされ様としている。(`・ω・´)ゞ

JR駅構内のキオスク(KIOSK)から、新聞雑誌関連将来は撤退か…。 !! ( ̄□ ̄;)

通勤通学やショッピング等で、電車を利用される方も多い方なら、必ず利用するとなれば駅売店にあるキオスク(KIOSK)である。(^-^)/ ちょっとした飲食物を始めとして、ネクタイや文庫本、手土産品までを狭いスペースを揃えて販売している駅の売店の事を指している。出掛ける途中で忘れ物に気付いた時でも、電車を待つほんの短い時間に買い物が出来るのが利点である。o(^▽^)o 旧国鉄(日本国有鉄道)時代から続くこの売店の名称がこの名前に取って替わったのは、昭和48(1973)年。前年の昭和47(1972)年に「鉄道弘済会」が設立40周年を迎えたのに伴って、駅売店のイメージアップを図る目的で、職員及び関係者から愛称を募集したのが始まりである。応募の結果、トルコ語であずまやを意味する「KIOSK」に名称が取って替わった。(=◇=;) 国内では駅売店のイメージが強いが海外では駅前や街角、公共の広場にある売店等は「KIOSK」と呼ばれていて「小さな売店」の事を指している。(=◇=;) 「KIOSK」の読み方も当初は「キオスク」だった。しかし「キヨスク」に読み方が替わったのは、「気安い」「清い」にも通じると云う、冗談な様な理由で呼ばれる様になったというウソだと思える様な事実が存在している(平成19(2007)年07月01日より、呼び方は国際的読み方に従い「キオスク」に変更統一)。(=◇=;) 昭和62(1987)年に旧国鉄がJRに分割民営化されたのを契機に、従来のキオスクスタイルに囚われない新しい形のコンビニ「NEWDAYS」にスタイルを替えたり、新しい商品開発をする等して、既存のキオスクと同様に共存共栄した形で今日に至ってきた。(=◇=;) しかしここに来て、キオスク自体にもちょっとした異変が起きている様である。JR駅構内の店舗「キオスク」等への雑誌の卸売りを一手に担ってきた、公益財団法人「鉄道弘済会」が今年10月にもその雑誌関連の取次ぎ事業から撤退するというのだ。( ̄□ ̄;) この事実は、今年08月30日付けの日本経済新聞(日経)が「駅ナカ 雑誌消滅の瀬戸際」等と報じている。記事によると、雑誌販売がピーク時の10分の1となり採算が悪化したのが主因との事だ。但し今回の件、鉄道弘済会の取次業務撤退の後は、出版取次大手の「トーハン」が業務を引き継ぐ事が決まり、東北から東海地方に掛けての約1,000店舗から雑誌が消える事態は一先ず回避されたと云う。A=´、`=)ゞ しかし予断は許されない様で、今後も新聞雑誌関連の販売低迷が続くとなれば、最悪全ての「キオスク」から雑誌が消える可能性も十分にあり、そうなれば「将来、出版業界への更なる打撃となりかねない」(日経)と警鐘を鳴らしている。Σ(゚д゚;) 1989年01月07日の昭和天皇の崩御に伴い、翌日01月08日に今上天皇の即位に伴って『昭和』から改元された『平成』。その平成も、来年の04月30日に今上天皇の生前退位を以って、11,070(30年3ヶ月23日)日の歴史に幕を降ろす事になるが、この間に、雑誌や新聞に限らずインターネットの普及で若者を中心に『ペーパーレス』が深く浸透した時代でもあった。嘗ては通勤電車内で、紙媒体の新聞や雑誌を広げて読む人が多く目立った、そんな当たり前だった時代。それが今やスマートフォンの普及や電子書籍等に次々と主役の座を奪われ、もはや紙媒体による情報提供は、正しく土俵際までに追い詰められた感がある。∑(゚Д゚) 嘗て街中に小さな書籍店は勿論、大型商業施設に必ず入っていた書籍店も、ここ最近のペーパーレス化の影響で、書籍の売り上げは大幅に落ち込み、書店自体の閉鎖や倒産破産が相次ぐ様になり、紙媒体での入手が益々困難になって来た事は否めない。(・・;) 働き盛りのサラリーマンが中心だった男性週刊誌等の愛読者も、今では電車にも殆ど乗らない定年退職者が主流では、キオスクの雑誌が売れ残るのは無理もない事なのだろうか…。(・_・;) この事も全国各地で相次いでいる「キオスク」の閉店に、追い打ちを掛けている要因にも繋がっている様である。(-"-;A

平成最後の夏を襲った『西日本豪雨』!! ((゜д゜;)))

平成の元号が最後となる今年の夏、最悪とも言える自然災害が西日本を中心に起きてしまった。(((゜д゜;))) 06月29日に発生した台風7号が太平洋高気圧の外側を回り込む様に07月04日に掛けて東シナ海を北上し、対馬海峡付近で進路を北東に変えて日本海上に抜けたが、太平洋高気圧の影響で梅雨前線が07月02日から05日頃に北海道に停滞し、広範囲で雨量が07月の月降水量の平年値を超える等し、北海道では堤防の決壊や内水氾濫に伴う床上・床下浸水、崖崩れ等の被害が出た。その後、太平洋高気圧が南東に移動した事で、北海道付近にあった梅雨前線が南下。九州地方では台風の影響による雨が07月03日頃から降り続いていたが、特に07月05日から、九州から中部地方に掛けて停滞した梅雨前線に向かって、台風7号がもたらした暖かく湿った空気が流れ込む事で、梅雨前線が活発化し、東シナ海からの湿った南東風と、太平洋高気圧の縁を回る湿った南風が西日本付近で合流し、極めて大量の水蒸気がもたらされた格好となり、梅雨前線は09日に北上して活動を弱めるまで日本上空に停滞し続け、西日本から東日本に掛けて広い範囲で記録的な大雨となった。 07月06日17時10分には、長崎、福岡、佐賀の3県に大雨特別警報が発表され、更に19時40分には、広島、岡山、鳥取。続いて22時50分には、京都、兵庫と、1日だけで8府県に大雨特別警報が発表された。翌07日12時50分には岐阜県。翌8日には05時50分には高知、愛媛の2県にも大雨特別警報が発表され、最終的には運用を開始して以来、最多となる計11府県で大雨特別警報が発表された。この豪雨により、西日本を中心に多くの地域で河川の氾濫や浸水害、土砂災害が発生し、死者数は200人を超える甚大な災害となってしまった。この影響で、全国の上水道や通信といったライフライン関係に被害が及んだ他、交通障害が広域的に発生してしまった。(((゜д゜;))) 平成に入ってからの豪雨災害としては初めて死者数が100人を超え、また昭和に遡っても昭和57(1982)年に300人近い死者・行方不明者を出した長崎大水害(昭和57年7月豪雨)以降、最悪の被害となってしまった。 特に最大の被害を被ったのは、広島県である。特に広島市を中心に、呉市や近隣の安芸郡坂町を始め、瀬戸内海側に面した地域で、住宅浸水、河川の氾濫、土砂崩れ等により、多くの住民が亡くなったり罹災したりした。同じ状況は近県各地にも及んだ。岡山県では、倉敷市を中心に渡って被害が渡り、笠岡市では自動車部品会社の工場の裏山が崩れて土砂が流れ込み6人が巻き込まれうち2人が亡くなった他、総社市では冠水した道路で流されるなどして4人が亡くなると言った傷ましい事態となってしまった。 (_ _。) この他被害は山陰地方や四国、九州北部、近畿地方の一部、東海・岐阜、更には北海道にも及んだ。当然の事ながらこの災害の影響で被害を受けたのがライフライン関係である。高速道路、鉄道と言った輸送機能は一時マヒ状態となり、また携帯電話の大手3社(NTT docomo、au by KDDI、Softbank)等は、被災地の一部で携帯電話が利用出来ない状況が続いた。 当然の事ながら、農業、商業、製造業を含めた産業関係を始め、道路、鉄道、物流と言ったライフライン関連に直結する産業にも大きな打撃を与えた。また予定していた各イベント関連の興業関連イベントも諸般事情を考慮して、中止や規模縮小等、影響は計り知れない。(-"-;A これから被災地では復旧復興に向けた再興に取り組まなければならない大きな試練に立ち向かう事になる。来年04月30日で平成の時代は終わりになるが、それを見越したかの様な今回の未曽有の雨による甚大な被害。東日本大震災を始めとして、平成の時代は災害の試練との闘いの時代である事を、天から命じられたかの様な時代なのだろうか? (-"-;A

消えつつある、フィルムカメラ !! (´_`。)

読者皆さんも必ず1台は持っているとされるのが、カメラである。(^-^)/ カメラもここ最近は、デジタル式が殆ど主流になっている他、従来のガラケーから現在のスマートフォンに至るまで、簡単に写真が撮れる時代になった。o(^-^)o 真のカメラマニアやプロの写真家となれば、昔ながらのフィルム式のカメラに拘っていて、馴染みのある方が多い。(*´σー`) しかしここに来て、フィルムカメラも大きな曲がり角を迎えつつある様である。(  ゚ ▽ ゚ ;) フィルムカメラの老舗と言われてきたキヤノンが、先月05月30日。フィルムカメラで唯一の現行機種であるフィルム一眼レフ『EOS-1v』の販売を終了した事を明らかにした。( ̄□ ̄;) この製品、平成22(2010)年には既に生産を終了していたが、このほど在庫分もゼロとなったためキヤノンのホームページ上で販売終了が告知され、創業から80年を超えるフィルムカメラの歴史に静かに幕を下ろした。Σ(・ω・;||| 同社は、前身である精機光学研究所が、昭和11(1936)年に35ミリフィルムカメラ『ハンザキヤノン』を発売して以来、フィルムカメラを生産してきた。『EOS-1v』は、平成12(2000)年に発売した最上級モデルで、カメラ愛好家から評価されたが、デジタルカメラの波に呑まれてしまった。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ 新元号07(2025)年10月31日までは修理対応を行うものの、新元号02(2020)年10月31日以降は、部品の在庫状況に応じた対応になるというのだ。販売終了の理由について同社では「デジタルカメラの普及に伴って、フィルムカメラは需要が縮小し、販売の継続が難しくなったため」と説明している。。(´д`lll) キヤノンは、会社が設立された昭和12(1937)年からフィルムカメラを販売してきたが、その80年を超える歴史に幕を降ろす事になった。フィルムと言えばその老舗となるのが富士フィルム。しかしその富士フィルムも今年04月06日に、写真用の白黒フィルムと白黒印画紙の販売を終了を既に発表し製造は終了した。同社は昭和09(1934)年01月に設立。同年02月から白黒用の印画紙など写真感光材料の製造・販売を開始し、カラー写真が普及する昭和45~55(1970)年代まで主力商品として同社を支えてきた。しかしカラー写真の普及やデジタル化に伴い、最盛期だった昭和40(1965)年頃の1%程度まで出荷量が減っていた。(°д°;) 同社では、コスト削減などを進めたものの、結局は採算が採れず安定的な供給が困難となった事から、製造・販売を終える事にしたと言う。白黒フィルムは今年10月から新元号02(2020)年03月までの間に、順次出荷を終える見通しとの事だ。富士フィルム自体も昭和11(1936)年から続いてきた、82年に渡る白黒フィルム製造及び販売の歴史に、在庫分ゼロと共に幕を下ろす事になる。但しカラーフィルムの製造・販売は今後も継続するとの事だ。フィルムカメラを巡っては、国内大手メーカー・ニコンが『F6』『FM10』の販売を続けているが、そのニコン自体も昨今のフィルムカメラを取り巻く環境は日を追って一層厳しく、一部オプションパーツの製造販売も終了している事もあり、事業を縮小する動きが続いていて、予断を許さない状況が続いている。(・_・;) カメラメーカーで作る『カメラ映像機器工業会』に因ると、フィルムカメラの出荷のピークは、平成02(1990)年の538万台余りだったが、その後のデジタルカメラの普及に伴ってフィルムカメラの出荷台数は年々減少傾向を辿り、平成19(2007)年には5万4千台と凡そ100分の1にまで縮小してしまった。ヽ(;´Д`)ノ ある写真家の一人は白黒フィルムが無くなる事について「何時か、この日が来ると思っていた。白黒フィルムは、富士フィルムの創業事業であり、たくさんの人に愛されてきた、ひとつの写真文化が経済論理で消える。デジタルで疑似表現は出来るが、今の写真文化を培ってきた本物には、もう戻れない。」と、写真が道具を使う文化ゆえに訪れる時代の変化と、白黒フィルム等の製造・販売の終了を惜しむコメントをこの様に語った。(´□`。) アナログからデジタルへの移行に伴い、これまで長い事親しまれてきたフィルムカメラであるが、急激な技術革新とフィルムに使われている現像薬液と言った、環境負荷への影響も少なからずあった事は否めない。何れはマーケット市場から完全にフィルムカメラがそう遠くない時期に消えゆくのみになるのか…。写真愛好家達にとっては気懸りな事である事は否めない様である。(*´Д`)=з

『羽生結弦選手2連覇おめでとうパレード』、ファンの行動も金メダル級 !! ヘ(゚∀゚*)ノ

今年02月17日、韓国で行われたピョンチャン(平昌)オリンピック。フィギュアスケート男子で66年ぶりの2連覇を果たし、世界中に感動の与えた、本県出身の羽生結弦選手。(^-^)/ その感動の2連覇を果たした日から起算して『65』日目に当る、先般04月22日に仙台市内で『羽生結弦選手 2連覇おめでとうパレード』が、盛大に挙行された。4年前のソチ五輪でアジア勢男子で初めて金メダルを獲得した際、その直後に仙台市内で行われたパレードでは、凡そ9万2千人のファンが沿道へ駆け付けたと言う。しかし今回は男子フィギュアスケートで、66年ぶりの2連覇と言う快挙にパレードの距離も、前回より220m長い約1.1kmのパレードになった。当日沿道には、凡そ10万8千人のファンが沿道を埋め尽くし、羽生選手の快挙を挙って祝った。ヾ(@^▽^@)ノ 当然の事ながら、この人出で必ず予想されるのは、所謂ゴミの問題である。全国各地域で行われるイベントとなると、食べ物関係の生ゴミを始めチラシ類等の紙類、容器類等のプラスティック系のゴミが大量に発生し、またゴミの分別もしなくてはならない。(*´Д`)=з イベントや祭典をやるにあたって必ず出て来るのは、否応なしでこの問題にぶち当たるからだ。!(´Д`;) 今回の羽生選手の2連覇パレードも4年前のソチ五輪で金メダル獲得した以上に、人出が予想され関係者は大量にゴミが出る事を事前に想定してこの日に臨んだ。(`・ω・´)ゞ パレードのスタートから約10分後に、出発地点になった東二番丁通り周辺の道路で、水色のジャンパーを着たボランティアの大学生ら約20人がゴミ拾いを開始した。所が、大通りを100m以上歩いて集まったゴミは、家庭用ゴミ袋1枚に纏めても十分余裕がある程度。各自3枚ずつビニール袋を用意してきたのだが「拾うゴミがない」と、想定外のゴミの少なさに驚きの声が漏れた。( ̄□ ̄;) しかも10万人超が詰め掛けただけに大量のゴミが散乱する事も想定されたが、終わってみればボランティアも「拾うゴミがない」と驚く程だったと言う。Σ(・ω・;||| 実は貢献したのは羽生選手のファンだった。今回のパレード開始前から事前にファン同士が「終了後にゴミを1つ拾って欲しい」「ゴミ拾いして帰る」とツイッター等を通じて呼び掛けていたと言うのだ。Σ(=°ω°=;ノ)ノ この日ブライアン・オーサー・コーチのお面を被ってパレード中の羽生選手に「オーサー!」と指を指されたという仙台市内在住の30代の女性は、家庭用ゴミ袋を持参。「羽生くんも地元にゴミが散らばる事を望んでいないと思うので、しっかり準備してきた。」とニッコリ。(‐^▽^‐)仙台市内の大学に通う女子学生(19)は「ゆづくんがあれだけ真摯(しんし)な姿を見せているんだから、困らせちゃいけない」と語った。(^-^)/ 仙台市スポーツ振興課によると、「4年前のパレードでもファンのマナーの良さからゴミは想定より少なかった。」と語り、今回は前回を上回る人出が見込まれていたため、今回は1,000人規模でパレードするルートのゴミ拾いに備えていたのだが、結果は杞憂(きゆう)に終わった様だ。(-。-;) ボランティアの一人、東北工業大学2年生の女子学生(19)は、拾うゴミが殆ど無かった事について「一人一人の思いが繋がった結果ですね」と嬉しそう。('-^*)/ パレード実行委員会の最高責任者は「ゴミが散乱していたという報告はなく、沿道の方々にマナーを良くして頂いた」と金メダル級の評価で感謝を述べていた。(o^-')b 羽生選手自身の人柄の影響が、ファンの心一人一人に繋がっている証となる結果なのか…。正しく金メダル級に値する出来事であろう。(b^-゜)

平成34(2022)年11月30日を以って、完全終了か? ( ̄□ ̄;)

久々のOwnd Blogの更新であるが、このタイトル表記を見て「一体何が終わるのか?」(  ゚ ▽ ゚ ;) と非常に気にされている読者の皆様も多い事と思うが、これからお話しする事はこれらに該当心当たりのある方は、真摯な気持ちでお読み頂ければ幸いである。(=◇=;)『平成34(2022)年11月30日』このキーワードであるが、管理者と同じアマチュア無線のライセンスを所持されている諸氏ならご存知の通り、旧スプリアス機器の無線機全てが新しい電波法に基づく新スプリアス規定規格に合致していないものは、翌同年の12月01日以降からは、電波法違反の対象となり運用が禁止されるのである。( ̄ー ̄;スプリアスとは指定周波数枠からはみ出る、所謂洩れ電波と言っても良いだろう。嘗ての地上波のアナログテレビ放送の場合は、VHFやUHFによるチャンネル送信の場合、必ず1ch毎に空きチャンネルがあった。奇数配列または偶数配列のチャンネル番号だったり、またVHFのLowバンド帯(1~3ch)、VHFのHighバンド帯、UHF全バンド帯によってチャンネル配列も地域によって混信が起きない様に配列されていた。しかし平成24(2012)年03月31日を以って地上波アナログ放送は完全停波し、13chから52chまでのデジタル放送へ完全移行化した。これを手始めにBS放送のアナログ放送も完全終了化された。つまりこれらはアナログ電波(放送関連、AM及びFM放送を除く)による通信関係機器が、タイトルの表題通り出来なくなる最終デッドラインの布石なのである。(=◇=;) もっと事細かく言えば、総務省所管に当る法律である、電波法内にある無線通信規則(RR)の改正を受け、平成17(2005)年12月01日からはスプリアスに対する規制が一段と強化される法律が既に施行されている事である。つまり平成19(2007)年11月30日を起点にそれ以前に製造された通信機器は、平成34(2022)年12月01日以降からは、全て使用不可となる訳である。(但し、アマチュア局の場合既に免許を受けている旧スプリアス機器は、スプリアスを実測し新スプリアス規格に適合していれば、書面を以って管轄の総合通信局に届け出る事によって、平成34(2022)年12月01日以降も使用出来る。)「何だ、アマチュア無線をやられている方だけの事で、我々には関係のない話ではないか?」(-。-;) と思うかも知れないが、ここから本題に入るとしよう。(^-^)/ この平成34(2022)年11月30日問題。前出の記述通り、平成19(2007)年11月30日以前に製造された通信機器を使っている、全ての官公民のアナログ関連の無線機器関連がこの規定に引っ掛かると言う事である。( ̄□ ̄;) 例えば警察無線、防災無線、鉄道無線、放送無線、通信関係の無線機器類は既にこれらに対応した、デジタル化を済ませている。そしてここから一番重要な話となる。(゜д゜;) 読者の皆様が必ず持っているモバイル通信機器(携帯電話)。これも対象になっているのである。( ̄□ ̄;) 皆様が普段使われている大手携帯会社(NTT DoCoMo、au&KDDI、SoftBank)等で、特に従来の第3世代携帯(3G)ガラケーをまだ使われている方も少なからずいらっしゃる事と思う。(管理者もその1人。) そのガラケーも以前から消滅する時期がいつなのか、確定出来ていない時期があった様だが、どうもタイトルの表題辺りが最終的タイムリミットになっている様である。Σ(~∀~||;) 読者の皆様の中でもこれまで使われていたガラケーが、携帯会社の都合による周波数提供の終了で代替機種への変更を余儀なくされた方も多い事だろう。只、3G携帯自体も平成19(2007)年11月30日以前に製造されたものや、12月01日以降に製造された物など跨って出ているガラケーもある事から、全て終了となるかどうか微妙な線も残っているが、何れにせよこれらは大手携帯三社が最終的にどの様な判断を下すかで、今後の動きが決められる事となるだろう。Σ(=°ω°=;ノ)ノ 今現在、スマートフォンを含めた第4世代携帯(4G)が主流になりつつある。当然の事ながら今現在、TwitterやInstagram等が出来る機種は、新スプリアス規格機器に入っているので、機種交換の必要性はない筈である。(但し、機種によって違う場合があり、旧スプリアス規格に引っ掛かる機種は、後日携帯会社から機種交換の連絡通知がある。) まだ正式な決定通知は大手携帯三社では出ていないが、これを見越して他の業界関連では、既に連動した動きが出始めている。クルマを使われている方でFM放送電波を利用した道路交通情報を提供している『VICS(ヴィックス)』。現在、新旧二つの方式で配信されているが、これも平成34(2022)年03月31日。つまり平成33(2021)年度の年度末を以って統一される事が既に決まっている。\(゜□゜)/ また長年使われていたPHSや簡易無線に関しては、デジタルに改修しないと使用不可の状態となり、現時点ではデジタルに改修するかどうか微妙な状況である事から、最悪の場合完全終了となる公算が大きい様である。Σ(・ω・;||| ではなぜ今頃になってこうなって来たのか? 本来であれば各国標準に合わせて、電波資源の有効化及びデシタル化推進によって、占用周波数の狭帯(ナロー)化を促進させ、占用周波数幅の新たなる確保をするため、10数年以上も前から実施する予定であったが、通信関係機器を所持している各無線従事者やそれらを製造している業界の根強い反対や時間的猶予がない事もあって、そう言った国内諸事情等の理由により、これまで先送りして今日に至ってきたのだ。しかし先送りのデッドラインは目の前に迫りつつあり、また国際電気通信連合(ITU)との国際的約束事つまり取り決めにより、最早これ以上の先送りが出来ない状況になって来ているのである。((>д<)) まだ表立った動きはないものの、一連の事態を想定して各携帯会社では、第5世代携帯(5G)への通信機器の取り組みも始めている様である。管理者の立場としても、大手携帯三社及びモバイル関係に従事している関係会社は、そういった混乱を防ぐ意味でそろそろ表立って広報PRを出しても良いのではないかと思っているのだが、動きがいまひとつの感が否めない。(-"-;A 電波関連に詳しい方達にしてみれば「もう情報は入手済み」かも知れないが、今まで知らなかった方達にとっては『寝耳に水』で、驚きの何ものかも知れない。(°д°;) しかし、以前から何かとざわついていたこのウワサ。東京五輪が終わったその2年後、現実的に訪れる日が来そうである。(・_・;) その際、国内に於ける通信関連環境はどの様に変貌を遂げて行くのか、事態の推移を注意深く見守って行く必要があるだろう。(゚ー゚;

ピョンチャン (平昌) 五輪 フィギュアスケート男子・羽生結弦選手 王者の貫録で金メダル 66年ぶりの連覇!ヘ(゚∀゚*)ノ

4年に一度の冬の祭典、冬季五輪が韓国のピョンチャン(平昌)で行われた。大会第9日の02月17日、フィギュアスケート男子フリーで、本県(宮城県)出身の羽生結弦選手(23)=ANA、宮城・東北高=が206.17点をマークし、ショートプログラム(SP)との合計317.85点で優勝し、男子で66年ぶりの2連覇を達成した。また初出場の宇野昌磨選手(20)=トヨタ自動車=も合計306.90点で2位になり、フィギュアで初めて複数の日本選手が同時に表彰台に立った。羽生選手はこの日今大会の日本選手団の金メダル第1号で、日本の冬季五輪の「金」は通算11個目を獲得した。羽生は前回初出場の2014年ソチ五輪でフィギュア日本男子初の金メダルを獲得し、世界選手権を2014、2017年に制し、グランプリ・ファイナルは2016年まで4連覇。ショートプログラム、フリー、合計の歴代最高得点を何度も塗り替え、世界をリードしてきた。昨年11月に右足首を痛めた影響で、平昌五輪出場が危ぶまれたが、ピンチを乗り越え、再び栄冠に輝いた。前日02月16日のSPでは、ジャンプやスピンなどを合計した技術点も、演技点もトップ。進化を続けるスター選手は右足首故障から見事に復活し、偉業を達成した。本県出身でもあり、66年ぶりの連覇と言う頂点に立った、02月17日。宮城県内は歓喜と感動と涙に包まれた。けがを乗り越えて掴んだ2大会連続の金メダル。東日本大震災の被災地では「パワーを貰った」と感謝の声が広がった。震災の津波で店舗が被災し、平成26(2014)年06月に再建した石巻市内の飲食店を訪ねた羽生選手は、石巻五目焼きそばを平らげ、「とても美味しかったです」と喜んだという。店主は「被災は大変ショックだったけれど、良い事もあった。羽生君は私達にパワーを与えてくれた」と感謝を口にした。羽生選手の祖父の出身地である登米市でも喜びが広がった。同市の地区センターでは、住民有志約50人がスクリーンで実況中継に見入り、金メダルに「万歳」の声を上げた。旧米谷工高(現 登米総合産高)で同僚教師だった男性(81)は「演技を終えてから立てなくなるぐらい力を出し切っていた。けがの心配を微塵も感じさせなかった」と戦いぶりを讃えた。JR仙台駅のパブリックビューイング(PV)で演技を見守った大崎市の男性(24)は「自分と同年代の羽生選手の活躍は刺激になった」と興奮した様子。仙台市太白区の市体育館であったPVで声援を送った同区の女性(75)は「生涯忘れられない日になった。また仙台で優勝パレードをして欲しい」と涙を浮かべて語った。金メダル獲得から一夜が明け、翌02月18日に平昌で記者会見した羽生選手は、「ソチ五輪の時と違って非常にたくさんの思いを込めて金メダルを取りにいった。思い描いていたメダルを掛けている事が本当に幸せ。(66年前に2連覇した)バットンも連覇に向けて応援してくれた。3連覇に挑むか今は分からないが、このタイトルを嬉しく思う。」と語った。故障中の心境について羽生選手は「スケートを辞めなきゃいけなかったらどうしようと思っていた。それだけスケートに懸け、色々なものを捨てた。本当は嫌われたくないが、喋るほど嫌われるし、色々な事を書かれる。只、僕が作ってきた歴史は何一つ変わらない。誇りを持って今後の人生、金メダリストとして全うしたい。休養するかどうかは足首次第。注射が打てない部位で、痛み止めを飲まなければジャンプを跳べない状況だ。治療の期間が欲しい」と語った。今後の事について羽生選手は「スケートを辞める気はまだない。モチベーションは4回転アクセルだけ。アクセルジャンプを得意とし、大好きでいられることに感謝しながら習得を目指したい。」と語り、「まだ英語が下手くそだし、もっと勉強しなきゃいけない事もある。世界中を回りながらスケートで、本気で1位を目指している人を手助けしたい」と、引退後のプランについても語った。前回のソチ冬季五輪、今回のピョンチャン冬季五輪で連覇を果たした羽生 結弦 選手に対し、宮城県は県民栄誉賞を授与すると表明。宮城県議会も議長特別表彰を贈呈する方向で調整に入った。村井 嘉浩 宮城県知事は「明るい話題を届けてくれた。心からお祝いしたい」と偉業を讃え、郡 和子 仙台市長も特別表彰「賛辞の楯(たて)」を贈ると共に、本人の意向を踏まえて快挙を祝うパレードを実施する方向で、今後宮城県、仙台市、宮城県警等と協議を進める事になった。因みに羽生選手への県民栄誉章授与と賛辞の楯の贈呈は、何れも前回のソチ冬季五輪に続き2度目となり、実現するとなれば宮城県、仙台市にとっては史上初の出来事になる。関係者によると「233万宮城県民と108万仙台市民と共に喜びを分かち合うため、盛大にパレードを実施したい。」と述べた。66年ぶりとなる冬季五輪連覇という歴史的偉業を成し遂げ、宮城県・仙台市、東北出身者として、国内及び世界を熱狂させたフィギュア界の王者の金メダルパレードが、再び杜の都・仙台の地で見られる事になりそうである。

48年ぶりの大寒波襲来 ‼((>д<))

01月も今日でお終いである。しかし暦通りの例えではないが正に「大寒」(今年は01月20日)の暦通り、2日後の01月22日は日本列島は大寒波に見舞われた。(><;) 日本列島南岸を通過した、太平洋低気圧がそれである。一週間前の週間天気から、気象予報士の諸氏は「低気圧の動きに十分に注意する様に!」と呼び掛けていた。しかし予想を遥かに上回る大寒波にプラスして、東京都心は4年ぶりともなる大雪に見舞われた。((>д<)) 当然、大雪とは余り縁の無い都心や周辺に住んでいる住民にとっては、よもやの積雪に右往左往した様である。ヽ(;´Д`)ノ 首都圏では22日昼頃から、東京や神奈川、埼玉などの平野部で雪が降り始め、夕方に積雪を記録。同日午後11時時点での積雪は、東京都心で23cm、横浜市で18cm、埼玉県熊谷市で19cmにも達した。大雪の影響により、首都圏では、列車の運休や遅れが相次ぎ、交通機関にも大きな乱れが出た。しかも運悪く降雪のピークが帰宅時間帯と重なり、都心の各駅では入場規制が実施された。。(´д`lll) 平成26(2014)年02月以来と言う大雪の事態に、気象庁はこの日、東京地方に大雪警報を発表した。しかも都心を走る首都高速道路は、出口の上り坂でノーマルタイヤのまま、または4輪駆動車でないがため、上り坂で停まった故にタイヤがスリップして上れない車が続出し、大パニック状態となった。東京都港区の東京湾に架かるレインボーブリッジでは「雪の影響で車3台が絡む玉突き事故が発生した」という内容の110番通報があった。警視庁によると、同所ではこの事故を含めて、上下線で少なくとも2件の玉突き事故が発生し、一時最大約300台が立ち往生したと言う。警察官が誘導し、バックで橋の入り口まで戻らせたが、この事故を受けて東京都は同日夕方に、レインボーブリッジを閉鎖した。警視庁交通部に因ると、都内では22日、雪が積もり始めてから翌23日午前0時迄の間に交通事故の発生が766件確認された。バイクの転倒などの人身事故が47件、物損事故が719件で、多くは今回の大雪の影響だと言う。また東京湾岸部お台場を結ぶ、新交通システム「ゆりかもめ」も、船の科学館-台場間で、列車が雪で坂を上れず立ち往生した。Σ(・ω・;||| 運営会社によると、列車を自動運転から運転士による手動運転に切り替え、約1時間後に台場駅に到着したと言う。同じく、国際展示場正門-有明間でも列車が雪のために坂を上れなくなり、国際展示場正門駅近くまでバックさせた上で、乗客約200人を降ろし線路を約5m歩かせた後、午後06時50分までに全員を避難させたと言う。( ̄□ ̄;) 何れの列車の乗客にもケガ人はなかったのが幸いと言う処だろう。(-。-;) 同じ事は首都圏周辺部にも及んだ。神奈川、埼玉、栃木、群馬、茨城等では、大雪のため交通障害が発生。高速道路や一般道はもちろん鉄道等の輸送体系はズタズタに乱れ、大混乱に陥った。ヽ(;´ω`)ノ このため周辺地域の小中高校では、臨時休校や始業時間開始の繰り下げを実施する学校が多く目立った。(*_*) また企業関係では社員の勤務就業時間を繰り上げて、早めに帰宅させる等の措置を執った企業も目立った。大雪に見舞われた22日当日、東京消防庁の調べによると、雪の影響で足を滑らせる等して転倒したケガ人が、東京都内で同日午後9時までに67人に上ったと発表した。(゚_゚i) 19~87歳の男女で、幸いな事に何れも命に別条はなかった。東京の西部・立川市では、同日午後1時40分頃に、70代男性が雪の積もったスロープを歩行中に足を滑らせて転倒。脳挫傷を負ったが、意識はあるという。この他、首都圏周辺部でも雪によるケガで病院へ搬送される等多く目立った。∑(-x-;) 今回の寒波、首都圏だけでなく、普段雪の降らない地域にも及んでおり、正しく日本列島は冷凍庫に入ったままの状態である。このBlog記事が上がる頃には、何とか寒波の峠が越えるとの見通しとの当初の予報ではあったが、どうやらまた02月に入って、節分寒波と日本列島南岸を通過する、太平洋低気圧が襲来するとの事の様だ。(;´Д`)ノ 今年の冬はやはり暦通り、02月04日の立春以降でないと、この寒さは収まらない気配の様である。∑(-x-;) 大都市圏や地方中核圏都市のみならず、日本列島各地では、低温のため水道管の破裂や断水が頻発し続けている、昭和45(1970)年以来の大寒波と言われている今年の冬!(@_@) 読者の皆様は勿論、筆者としても一日も早い寒波からの脱出を願ってやまない処である。(・_・;)

宮城の新ブランド米『だて正夢』お披露目 !! σ(*^―^*)ゝ*

古くから日本有数のコメ処として知られる宮城県は、米の歴史を作ってきた。昭和38(1963)年、宮城県古川農業試験場にて『ササニシキ』が誕生し、『コシヒカリ』と共に日本を代表する米として、一時代を築いた。(^-^)/ 昭和56(1981)年には、同じく宮城県古川農業試験場にて『ひとめぼれ』が完成。粘り、ツヤ、うまみ、香りのトータルバランスが良いと評判を呼び、全国にファンをもつ人気米になった。現在も県内の作付面積75%を占める主力品種になっている。しかし順調に見える宮城県の米事情だが、「近年は危機感が強まっていた」と、宮城県農林水産部の関係者はこう話している。「近年『ゆめぴりか(北海道)』『青天の霹靂(青森)』『新之助(新潟)』等、全国の産地が相次いで高価格米を投入し、競争が激化している状況にあって、宮城県産米の存在感が弱まりつつあると感じている」と危機感を募らせていた。 実際、宮城県が首都圏の消費者に「米の産地イメージ」を調査したところ、『コシヒカリ』については約80%の人が「新潟県」と回答。一方『ひとめぼれ』は「特定の産地イメージなし」と答えた人が約40%と最も多く、「宮城県」と回答した人は約15%に留まった。『ひとめぼれ』の名を知ってはいても、宮城県の米であるという認識は低いのだ。(°Д°;≡°Д°;)  こうした状況を受け、宮城県で新品種の開発がスタートした。関係者曰く「強く意識したのは、お米は“食べ分ける時代”になっているという事。おかずのジャンルやその日の気分等によって、お米を替えるというライフスタイルが、普通になってきています。ですから、新品種は『ササニシキ』や『ひとめぼれ』とはまったく異なる食味を目指した」とこの様に語る。『ササニシキ』は、優しく上品な味わいが特徴で、寿司や和食に合うとされ、『ひとめぼれ』は毎日の食卓に向く“万能感”が売りと来る。では新品種は?「もちもちとした粘りをもち、噛むほどにお米本来の甘みと旨味が溢れてくる。そんな贅沢な時間を得られる品種を求めて、宮城県古川農業試験場が人工交配を重ねました。そして完成したのが『だて正夢』です。低アミロース米に区分されるお米で、今年(2017年)がプレデビュー。来年は収穫量を増やして正式デビューに臨みます。」と語った。(^-^)/ 低アミロース米は、通常の粳(うるち)米に比べて、澱粉の構成成分であるアミロースの比率が低い。しかも粘りが強く、冷めても食味が低下しにくいのが特徴だ。代表的な品種として『ミルキークイーン』や『夢ぴりか』が知られている。「以前、宮城県でもミルキークイーンの栽培に取り組んだ事があった。でも、宮城の風土に合わず、上手く行きませんでした。『だて正夢』はその経験も生かして開発されました」とこの様に語る。今年収穫された『だて正夢』を、関係者が自宅の炊飯器で炊いて食べてみた処。「1度目は、かなり軟らかい炊き上がりで、新米であるため水を減らして炊いたが、もっと少なくても良い。2合炊きの場合なら、炊飯器の目盛りから2mm程度、水を減らすのがポイントだ。 」とこの様に語った。食感はとにかく粘りが強く、もちもちとしており、低アミロース米の特色がよく表れている。とはいえ、ほかの低アミロース米に比べて、比較的さっぱりしていると感じた。甘みや香りは強いが、食べ飽きずに箸を進められる。 新ブランド米『だて正夢』の出足は上々で、販売前日の11月06日には宮城県庁で新米のお披露目会があった。村井嘉浩宮城県知事や、県産米のCMキャラクターを務める、みやぎ米メッセンジャー・お笑いコンビ「サンドウィッチマン」らがコメ袋のデザインをお披露目し、美味しさをアピールした。サンドの伊達みきおさんは「白米だけで食べられる」と食味を絶賛。富澤たけしさんも「宮城の米だと分かりやすい名前。どんどんPRしていきたい」と意気込んだ。(b^-゜) 翌11月07日には、宮城県内で一般向け先行販売が開始され、百貨店や量販店、米殻店など約200店舗で販売。品切れが相次ぎ、約10日間で全農(JA)宮城県本部が予定していた予定数の出荷が完了した。首都圏では先月11月29日から販売を開始し、東京銀座・松屋では、「サンドウィッチマン」の二人がプレデビュー発表会に登場するなど、新ブランド米のPRにも力を注いでいる。 村井知事は「天下を取るブランド米に育てる。まずは県内の方に食べて貰い、感じた美味しさを県外に発信して欲しい」と語った。また関係者筋の話によると「もうひとつ、宮城県では『金のいぶき』というお米も新規導入しました。これは、健康志向を強くアピールした玄米になります。玄米とはいえ、炊飯器の白米モードで炊けるので、手軽に健康習慣が取り入れられます。」と自信をのぞかせる。(*^-^)b『ササニシキ』『ひとめぼれ』『だて正夢』『金のいぶき』――この4つの柱で、コメ処の復権を目指す宮城県。名武将として名を馳せた、伊達政宗公に因んだ名を持つ『だて正夢』が、マーケットに切り込み、存在感を発揮し天下を取る事が出来るのか。関係者が連携した綿密な販売、生産戦略の構築がこれからは欠かせない。コメ処の復権を掛けた、宮城県の戦略性のチカラが正しくこれからは試される事になり、その成り行きが注目される処である。(*^-^)b

スキーブーム 復活の兆し…。?w川・o・川w

昭和60(1985)年代から平成02(1990)年頃の昭和・平成のバブル景気で、一気に盛り上がった冬のウインター・スポーツの代表格と言えばスキーである。(^-^)/ 筆者自身もこの時代を実際に経験した事のある直撃世代として、この時期各地のスキー場へは、朝早くから大勢のスキーヤーが訪れ、スキーキャリアを据え付け、お気に入りの各スキー場のロゴマーク入りのステッカーをクルマに貼るのが流行った時期でもある。(*^▽^*) 当時のスキー場周辺は大変な混雑に見舞われた経験を持つ経験者の方達も多い筈である。(^-^)/ 昭和62(1987)年11月21日に公開された、「ホイチョイ・プロダクション」原作で、原田知世主演の日本映画『私をスキーに連れてって』が、当時空前のスキーブームの火付け役となり、冬の一大レジャー産業のシンボルともなった。リフト待ちの時間も30分待ちそれ以上は、当時は当たり前の出来事でもあった。(  ゚ ▽ ゚ ;) しかしバブル景気崩壊後、空前の大不況に陥ると、スキーブームは徐々に下火となり、廃業を余儀なくされるスキー場が各地で続出する様になった。ヽ(;´Д`)ノ それから既に30年余りが経過しここに来て、平成24(2012)年辺りから少しずつではあるがスキーブームが復活の兆しになっていると言うのだ。\(゜□゜)/ スキー人口のピークは平成05(1993)年の1,770万人(レジャー白書)。丁度「屋内スキー場・ザウス」がオープンした年である。SBIホールディングスが運営する『保険の窓口インズウェブ』が、バブル景気経験世代にあたる40代~50代の男女に対してアンケート調査を行なったところ、78%もの人が「スキーもしくはスキーボードの経験がある」と回答した。この数字を見ても、当時いかに流行していたかを想像できる。スキー人口だけを見てみると、平成05(1993)年を境に人口は減り続け、平成24(2012)年は560万人と3分の1まで減少した。しかし「機会があれば今後スキー・スノーボードに行きたい」(56%)、「機会を作って必ず行きたい」(5%)と考えている人も実は多く、そのうち35%が「自分の子ども」と出掛けたいと回答している。(^-^)/ また、調査結果によると、スキー&スノーボードの経験者のうち、46%が最近5年以内はスキー&スノーボードに行ってないと回答。昭和57(1982)年頃に、親に連れられて初めてスキーに行き、平成09(1999)年頃まではカップルで行っていたが、最近では子供が出来て家のコタツでインターネットを利用している風景が想像される。そのかつて大人気だったスキーレジャーに、復活の兆しが見え始めた要因として、当時のブームを担った世代が親になり、子連れで再び楽しむようになったためだと言う。こうした動きは「リバイバル需要」と呼ばれ、レジャー業界は熱い視線を送っている。これまで経営に苦しんできたスキー場サイドも必死になって巻き返しを計っている。子供向けゲレンデを作り、3歳から入れるスキー教室を新設。小学生以下の子供のリフト券を無料にしたり、子供向けの雪遊び場を拡張したり、子供を預けて親が遊べるように、託児施設も用意する等他、家族で使える更衣室の設置の整備など、各スキー場は集客の手をあれこれと知恵を絞っている。A=´、`=)ゞ 更に、北海道のリゾート型スキー場は外国人客の割合が多いため、その対応やサービスにも力を入れている。スキー場では案内板の英語表記を増やし、外国人の従業員も昨シーズンから増員させ、また無料でネット利用できるWi-Fiも導入したと言う。こうした血の滲む様な取り組みが評価されたのか、この正月明けにはキャロライン・ケネディ駐日大使が家族で北海道を訪れ、スキーを楽しむ様子をツィートして話題にもなった。(^-^)/ しかし、だからといってスキー人気がこのまま復活するとは限らない。日本の人口は減り続けており、景気の先行きは不透明。テーマパークなど、レジャー施設も他にもたくさんある。スキー人気は回復傾向に向かいつつあるものの、業界に見えてきたのはまだ薄明かりに過ぎないのだ。(・_・;) 果たしてこの緩やかなスキーブームの回復基調、本格的上昇気流に乗る事が出来るのか、暫くは時間が掛かる事だろう。φ(.. )

JR仙台駅西口のガス灯、風前の灯!( ̄□ ̄;) 仙台市が改修計画へ !!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

今年も残こす処、あと1ヶ月となった。(^-^)/ 街中では、クリスマス・イルミネーションが飾られ、次第にクリスマスの雰囲気が日一日と濃くなって行く。みちのく仙台も12月08日からは、恒例の『SENDAI 光のページェント』が開催されるが、今回は灯り関係でも違う話題をご紹介する事にしよう。(^-^)/ JR仙台駅前を訪れた観光客の皆さんならご存知の、歩道側に立っている外灯である『ガス灯』。メインストリートの青葉通りを筆頭に、愛宕上杉通り、駅前通り、に立ち並ぶ外灯の事である。伊達政宗公の騎馬像姿のモニュメントを施し、昭和62(1987)年07月15日、仙台市地下鉄・南北線の開通に伴い、仙台駅前商店街振興組合が設置し、仙台市に寄贈したものである。設置数が国内最多とされるJR仙台駅西口のガス灯は、全部で117基設置され、平成02(1990)年には、建設省(現 国土交通省)が主催した『街灯のある街角30選』にも選ばれていて、仙台を訪れる観光客の間では、口コミや夜景好きのファンの間では、特に知られている。:*:・( ̄∀ ̄)・:*: しかし設置から既に年月は30年を経過し、ここに来て新たな問題が浮上したと言う。ガス灯全基117基のうち、96%に当たる112基に不点灯や灯具の腐食等が確認された事が、11月17日の現地調査で確認されたと言うのだ。( ̄□ ̄;) 因みに仙台市の調査に因ると、不具合が発生している内訳は、経年劣化で明かりの点かないガス灯が、26.5%に当たる31基。腐食や損傷があったのは、69.2%に当たる81基。正常と確認出来たのは、4.3%に当たる僅か5基だけだった。(  ゚ ▽ ゚ ;) このため、管理する仙台市は今年09月に改修計画を策定し、来年(2018)度から4ヶ年計画で、発光ダイオード(LED)への変更や撤去を進める事になったと言う。この改修計画では、愛宕上杉通の交差点2ヶ所でガス灯8基を残し、94基をLED電球に取り替え、また以前に故障したガス灯の一部には既にLED電球への更新が完了していると言う。またペデストリアンデッキ直下にあるガス灯15基に付いても「天井に埋め込んだダウンライトで明るさが確保されている」として撤去する方針だと言う事だ。来年度後半には着工し、※平成34(2022)年度内に完了の見込みで、仙台市内ではこの他、旧建設省当時に電線地中化によって設置された外灯も、ハロゲン仕様からLED化への取替が進んでおり、一連の流れとも言えそうだ。仙台市青葉区役所・道路課の担当者は「地元の意向を受けて、2ヶ所でガス灯を残す事にした」と話している。(-。-;) 地下鉄南北線の開業と共に、設置から既に30年が経過し、昼夜の寒暖や暴風雨雪に堪え忍んで来たガス灯も、やはり経年劣化の流れには逆らえず、一部を残してLEDへ主役を明け渡す時が来ている様である。(゚_゚i)※…平成34(2022)年は、暫定での年号表記です。天皇陛下の生前退位の報道の件に鑑み、今後新たに年号が改元される事が予想されますので、予めご了承下さい。