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48年ぶりの大寒波襲来!((>д<))

01月も今日でお終いである。しかし暦通りの例えではないが正に「大寒」(今年は01月20日)の暦通り、2日後の01月22日は日本列島は大寒波に見舞われた。(><;) 日本列島南岸を通過した、太平洋低気圧がそれである。一週間前の週間天気から、気象予報士の諸氏は「低気圧の動きに十分に注意する様に!」と呼び掛けていた。しかし予想を遥かに上回る大寒波にプラスして、東京都心は4年ぶりともなる大雪に見舞われた。((>д<)) 当然、大雪とは余り縁の無い都心や周辺に住んでいる住民にとっては、よもやの積雪に右往左往した様である。ヽ(;´Д`)ノ 首都圏では22日昼頃から、東京や神奈川、埼玉などの平野部で雪が降り始め、夕方に積雪を記録。同日午後11時時点での積雪は、東京都心で23cm、横浜市で18cm、埼玉県熊谷市で19cmにも達した。大雪の影響により、首都圏では、列車の運休や遅れが相次ぎ、交通機関にも大きな乱れが出た。しかも運悪く降雪のピークが帰宅時間帯と重なり、都心の各駅では入場規制が実施された。。(´д`lll) 平成26(2014)年02月以来と言う大雪の事態に、気象庁はこの日、東京地方に大雪警報を発表した。しかも都心を走る首都高速道路は、出口の上り坂でノーマルタイヤのまま、または4輪駆動車でないがため、上り坂で停まった故にタイヤがスリップして上れない車が続出し、大パニック状態となった。東京都港区の東京湾に架かるレインボーブリッジでは「雪の影響で車3台が絡む玉突き事故が発生した」という内容の110番通報があった。警視庁によると、同所ではこの事故を含めて、上下線で少なくとも2件の玉突き事故が発生し、一時最大約300台が立ち往生したと言う。警察官が誘導し、バックで橋の入り口まで戻らせたが、この事故を受けて東京都は同日夕方に、レインボーブリッジを閉鎖した。警視庁交通部に因ると、都内では22日、雪が積もり始めてから翌23日午前0時迄の間に交通事故の発生が766件確認された。バイクの転倒などの人身事故が47件、物損事故が719件で、多くは今回の大雪の影響だと言う。また東京湾岸部お台場を結ぶ、新交通システム「ゆりかもめ」も、船の科学館-台場間で、列車が雪で坂を上れず立ち往生した。Σ(・ω・;||| 運営会社によると、列車を自動運転から運転士による手動運転に切り替え、約1時間後に台場駅に到着したと言う。同じく、国際展示場正門-有明間でも列車が雪のために坂を上れなくなり、国際展示場正門駅近くまでバックさせた上で、乗客約200人を降ろし線路を約5m歩かせた後、午後06時50分までに全員を避難させたと言う。( ̄□ ̄;) 何れの列車の乗客にもケガ人はなかったのが幸いと言う処だろう。(-。-;) 同じ事は首都圏周辺部にも及んだ。神奈川、埼玉、栃木、群馬、茨城等では、大雪のため交通障害が発生。高速道路や一般道はもちろん鉄道等の輸送体系はズタズタに乱れ、大混乱に陥った。ヽ(;´ω`)ノ このため周辺地域の小中高校では、臨時休校や始業時間開始の繰り下げを実施する学校が多く目立った。(*_*) また企業関係では社員の勤務就業時間を繰り上げて、早めに帰宅させる等の措置を執った企業も目立った。大雪に見舞われた22日当日、東京消防庁の調べによると、雪の影響で足を滑らせる等して転倒したケガ人が、東京都内で同日午後9時までに67人に上ったと発表した。(゚_゚i) 19~87歳の男女で、幸いな事に何れも命に別条はなかった。東京の西部・立川市では、同日午後1時40分頃に、70代男性が雪の積もったスロープを歩行中に足を滑らせて転倒。脳挫傷を負ったが、意識はあるという。この他、首都圏周辺部でも雪によるケガで病院へ搬送される等多く目立った。∑(-x-;) 今回の寒波、首都圏だけでなく、普段雪の降らない地域にも及んでおり、正しく日本列島は冷凍庫に入ったままの状態である。このBlog記事が上がる頃には、何とか寒波の峠が越えるとの見通しとの当初の予報ではあったが、どうやらまた02月に入って、節分寒波と日本列島南岸を通過する、太平洋低気圧が襲来するとの事の様だ。(;´Д`)ノ 今年の冬はやはり暦通り、02月04日の立春以降でないと、この寒さは収まらない気配の様である。∑(-x-;) 大都市圏や地方中核圏都市のみならず、日本列島各地では、低温のため水道管の破裂や断水が頻発し続けている、昭和45(1970)年以来の大寒波と言われている今年の冬!(@_@) 読者の皆様は勿論、筆者としても一日も早い寒波からの脱出を願ってやまない処である。(・_・;)

宮城の新ブランド米『だて正夢』お披露目 !! σ(*^―^*)ゝ*

古くから日本有数のコメ処として知られる宮城県は、米の歴史を作ってきた。昭和38(1963)年、宮城県古川農業試験場にて『ササニシキ』が誕生し、『コシヒカリ』と共に日本を代表する米として、一時代を築いた。(^-^)/ 昭和56(1981)年には、同じく宮城県古川農業試験場にて『ひとめぼれ』が完成。粘り、ツヤ、うまみ、香りのトータルバランスが良いと評判を呼び、全国にファンをもつ人気米になった。現在も県内の作付面積75%を占める主力品種になっている。しかし順調に見える宮城県の米事情だが、「近年は危機感が強まっていた」と、宮城県農林水産部の関係者はこう話している。「近年『ゆめぴりか(北海道)』『青天の霹靂(青森)』『新之助(新潟)』等、全国の産地が相次いで高価格米を投入し、競争が激化している状況にあって、宮城県産米の存在感が弱まりつつあると感じている」と危機感を募らせていた。 実際、宮城県が首都圏の消費者に「米の産地イメージ」を調査したところ、『コシヒカリ』については約80%の人が「新潟県」と回答。一方『ひとめぼれ』は「特定の産地イメージなし」と答えた人が約40%と最も多く、「宮城県」と回答した人は約15%に留まった。『ひとめぼれ』の名を知ってはいても、宮城県の米であるという認識は低いのだ。(°Д°;≡°Д°;)  こうした状況を受け、宮城県で新品種の開発がスタートした。関係者曰く「強く意識したのは、お米は“食べ分ける時代”になっているという事。おかずのジャンルやその日の気分等によって、お米を替えるというライフスタイルが、普通になってきています。ですから、新品種は『ササニシキ』や『ひとめぼれ』とはまったく異なる食味を目指した」とこの様に語る。『ササニシキ』は、優しく上品な味わいが特徴で、寿司や和食に合うとされ、『ひとめぼれ』は毎日の食卓に向く“万能感”が売りと来る。では新品種は?「もちもちとした粘りをもち、噛むほどにお米本来の甘みと旨味が溢れてくる。そんな贅沢な時間を得られる品種を求めて、宮城県古川農業試験場が人工交配を重ねました。そして完成したのが『だて正夢』です。低アミロース米に区分されるお米で、今年(2017年)がプレデビュー。来年は収穫量を増やして正式デビューに臨みます。」と語った。(^-^)/ 低アミロース米は、通常の粳(うるち)米に比べて、澱粉の構成成分であるアミロースの比率が低い。しかも粘りが強く、冷めても食味が低下しにくいのが特徴だ。代表的な品種として『ミルキークイーン』や『夢ぴりか』が知られている。「以前、宮城県でもミルキークイーンの栽培に取り組んだ事があった。でも、宮城の風土に合わず、上手く行きませんでした。『だて正夢』はその経験も生かして開発されました」とこの様に語る。今年収穫された『だて正夢』を、関係者が自宅の炊飯器で炊いて食べてみた処。「1度目は、かなり軟らかい炊き上がりで、新米であるため水を減らして炊いたが、もっと少なくても良い。2合炊きの場合なら、炊飯器の目盛りから2mm程度、水を減らすのがポイントだ。 」とこの様に語った。食感はとにかく粘りが強く、もちもちとしており、低アミロース米の特色がよく表れている。とはいえ、ほかの低アミロース米に比べて、比較的さっぱりしていると感じた。甘みや香りは強いが、食べ飽きずに箸を進められる。 新ブランド米『だて正夢』の出足は上々で、販売前日の11月06日には宮城県庁で新米のお披露目会があった。村井嘉浩宮城県知事や、県産米のCMキャラクターを務める、みやぎ米メッセンジャー・お笑いコンビ「サンドウィッチマン」らがコメ袋のデザインをお披露目し、美味しさをアピールした。サンドの伊達みきおさんは「白米だけで食べられる」と食味を絶賛。富澤たけしさんも「宮城の米だと分かりやすい名前。どんどんPRしていきたい」と意気込んだ。(b^-゜) 翌11月07日には、宮城県内で一般向け先行販売が開始され、百貨店や量販店、米殻店など約200店舗で販売。品切れが相次ぎ、約10日間で全農(JA)宮城県本部が予定していた予定数の出荷が完了した。首都圏では先月11月29日から販売を開始し、東京銀座・松屋では、「サンドウィッチマン」の二人がプレデビュー発表会に登場するなど、新ブランド米のPRにも力を注いでいる。 村井知事は「天下を取るブランド米に育てる。まずは県内の方に食べて貰い、感じた美味しさを県外に発信して欲しい」と語った。また関係者筋の話によると「もうひとつ、宮城県では『金のいぶき』というお米も新規導入しました。これは、健康志向を強くアピールした玄米になります。玄米とはいえ、炊飯器の白米モードで炊けるので、手軽に健康習慣が取り入れられます。」と自信をのぞかせる。(*^-^)b『ササニシキ』『ひとめぼれ』『だて正夢』『金のいぶき』――この4つの柱で、コメ処の復権を目指す宮城県。名武将として名を馳せた、伊達政宗公に因んだ名を持つ『だて正夢』が、マーケットに切り込み、存在感を発揮し天下を取る事が出来るのか。関係者が連携した綿密な販売、生産戦略の構築がこれからは欠かせない。コメ処の復権を掛けた、宮城県の戦略性のチカラが正しくこれからは試される事になり、その成り行きが注目される処である。(*^-^)b

スキーブーム 復活の兆し…。?w川・o・川w

昭和60(1985)年代から平成02(1990)年頃の昭和・平成のバブル景気で、一気に盛り上がった冬のウインター・スポーツの代表格と言えばスキーである。(^-^)/ 筆者自身もこの時代を実際に経験した事のある直撃世代として、この時期各地のスキー場へは、朝早くから大勢のスキーヤーが訪れ、スキーキャリアを据え付け、お気に入りの各スキー場のロゴマーク入りのステッカーをクルマに貼るのが流行った時期でもある。(*^▽^*) 当時のスキー場周辺は大変な混雑に見舞われた経験を持つ経験者の方達も多い筈である。(^-^)/ 昭和62(1987)年11月21日に公開された、「ホイチョイ・プロダクション」原作で、原田知世主演の日本映画『私をスキーに連れてって』が、当時空前のスキーブームの火付け役となり、冬の一大レジャー産業のシンボルともなった。リフト待ちの時間も30分待ちそれ以上は、当時は当たり前の出来事でもあった。(  ゚ ▽ ゚ ;) しかしバブル景気崩壊後、空前の大不況に陥ると、スキーブームは徐々に下火となり、廃業を余儀なくされるスキー場が各地で続出する様になった。ヽ(;´Д`)ノ それから既に30年余りが経過しここに来て、平成24(2012)年辺りから少しずつではあるがスキーブームが復活の兆しになっていると言うのだ。\(゜□゜)/ スキー人口のピークは平成05(1993)年の1,770万人(レジャー白書)。丁度「屋内スキー場・ザウス」がオープンした年である。SBIホールディングスが運営する『保険の窓口インズウェブ』が、バブル景気経験世代にあたる40代~50代の男女に対してアンケート調査を行なったところ、78%もの人が「スキーもしくはスキーボードの経験がある」と回答した。この数字を見ても、当時いかに流行していたかを想像できる。スキー人口だけを見てみると、平成05(1993)年を境に人口は減り続け、平成24(2012)年は560万人と3分の1まで減少した。しかし「機会があれば今後スキー・スノーボードに行きたい」(56%)、「機会を作って必ず行きたい」(5%)と考えている人も実は多く、そのうち35%が「自分の子ども」と出掛けたいと回答している。(^-^)/ また、調査結果によると、スキー&スノーボードの経験者のうち、46%が最近5年以内はスキー&スノーボードに行ってないと回答。昭和57(1982)年頃に、親に連れられて初めてスキーに行き、平成09(1999)年頃まではカップルで行っていたが、最近では子供が出来て家のコタツでインターネットを利用している風景が想像される。そのかつて大人気だったスキーレジャーに、復活の兆しが見え始めた要因として、当時のブームを担った世代が親になり、子連れで再び楽しむようになったためだと言う。こうした動きは「リバイバル需要」と呼ばれ、レジャー業界は熱い視線を送っている。これまで経営に苦しんできたスキー場サイドも必死になって巻き返しを計っている。子供向けゲレンデを作り、3歳から入れるスキー教室を新設。小学生以下の子供のリフト券を無料にしたり、子供向けの雪遊び場を拡張したり、子供を預けて親が遊べるように、託児施設も用意する等他、家族で使える更衣室の設置の整備など、各スキー場は集客の手をあれこれと知恵を絞っている。A=´、`=)ゞ 更に、北海道のリゾート型スキー場は外国人客の割合が多いため、その対応やサービスにも力を入れている。スキー場では案内板の英語表記を増やし、外国人の従業員も昨シーズンから増員させ、また無料でネット利用できるWi-Fiも導入したと言う。こうした血の滲む様な取り組みが評価されたのか、この正月明けにはキャロライン・ケネディ駐日大使が家族で北海道を訪れ、スキーを楽しむ様子をツィートして話題にもなった。(^-^)/ しかし、だからといってスキー人気がこのまま復活するとは限らない。日本の人口は減り続けており、景気の先行きは不透明。テーマパークなど、レジャー施設も他にもたくさんある。スキー人気は回復傾向に向かいつつあるものの、業界に見えてきたのはまだ薄明かりに過ぎないのだ。(・_・;) 果たしてこの緩やかなスキーブームの回復基調、本格的上昇気流に乗る事が出来るのか、暫くは時間が掛かる事だろう。φ(.. )

JR仙台駅西口のガス灯、風前の灯!( ̄□ ̄;) 仙台市が改修計画へ !!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

今年も残こす処、あと1ヶ月となった。(^-^)/ 街中では、クリスマス・イルミネーションが飾られ、次第にクリスマスの雰囲気が日一日と濃くなって行く。みちのく仙台も12月08日からは、恒例の『SENDAI 光のページェント』が開催されるが、今回は灯り関係でも違う話題をご紹介する事にしよう。(^-^)/ JR仙台駅前を訪れた観光客の皆さんならご存知の、歩道側に立っている外灯である『ガス灯』。メインストリートの青葉通りを筆頭に、愛宕上杉通り、駅前通り、に立ち並ぶ外灯の事である。伊達政宗公の騎馬像姿のモニュメントを施し、昭和62(1987)年07月15日、仙台市地下鉄・南北線の開通に伴い、仙台駅前商店街振興組合が設置し、仙台市に寄贈したものである。設置数が国内最多とされるJR仙台駅西口のガス灯は、全部で117基設置され、平成02(1990)年には、建設省(現 国土交通省)が主催した『街灯のある街角30選』にも選ばれていて、仙台を訪れる観光客の間では、口コミや夜景好きのファンの間では、特に知られている。:*:・( ̄∀ ̄)・:*: しかし設置から既に年月は30年を経過し、ここに来て新たな問題が浮上したと言う。ガス灯全基117基のうち、96%に当たる112基に不点灯や灯具の腐食等が確認された事が、11月17日の現地調査で確認されたと言うのだ。( ̄□ ̄;) 因みに仙台市の調査に因ると、不具合が発生している内訳は、経年劣化で明かりの点かないガス灯が、26.5%に当たる31基。腐食や損傷があったのは、69.2%に当たる81基。正常と確認出来たのは、4.3%に当たる僅か5基だけだった。(  ゚ ▽ ゚ ;) このため、管理する仙台市は今年09月に改修計画を策定し、来年(2018)度から4ヶ年計画で、発光ダイオード(LED)への変更や撤去を進める事になったと言う。この改修計画では、愛宕上杉通の交差点2ヶ所でガス灯8基を残し、94基をLED電球に取り替え、また以前に故障したガス灯の一部には既にLED電球への更新が完了していると言う。またペデストリアンデッキ直下にあるガス灯15基に付いても「天井に埋め込んだダウンライトで明るさが確保されている」として撤去する方針だと言う事だ。来年度後半には着工し、※平成34(2022)年度内に完了の見込みで、仙台市内ではこの他、旧建設省当時に電線地中化によって設置された外灯も、ハロゲン仕様からLED化への取替が進んでおり、一連の流れとも言えそうだ。仙台市青葉区役所・道路課の担当者は「地元の意向を受けて、2ヶ所でガス灯を残す事にした」と話している。(-。-;) 地下鉄南北線の開業と共に、設置から既に30年が経過し、昼夜の寒暖や暴風雨雪に堪え忍んで来たガス灯も、やはり経年劣化の流れには逆らえず、一部を残してLEDへ主役を明け渡す時が来ている様である。(゚_゚i)※…平成34(2022)年は、暫定での年号表記です。天皇陛下の生前退位の報道の件に鑑み、今後新たに年号が改元される事が予想されますので、予めご了承下さい。

2020 東京五輪まで、1,000日を切る !! (^-^)/

2020年に行なわれる、東京五輪の開催まで、先般10月28日時点で残り1,000日に到達した。もう開催まで、あと2年と8ヶ月余りに差し迫っている。開催まで1,000日に到達したのを記念して、先般読売新聞社と東京都港区が、大会組織委員による公式プログラムの一環として10月27日(金)と28日(土)の両日に「1,000日前カウントダウンフェスタ~東京2020へ」が開催された。両日に当るこの日、東京タワーを5色にライトアップし、大展望台には「1,000」のカウントダウン日数が表示された。28日には東京タワー近くの港区芝公園でライトアップの点灯式が実施され、小池百合子東京都知事とトップアスリートらが参加してトークショー等が行われた。併せて、芝公園では両日「ウェルカム TOKYO スポーツパーク」も実施。港区にある各大使館から参加者が集う「大使館対抗運動会」などが開催された。オリンピック公式パートナーの全日空(ANA)も、10月28日から11月29日までに渡ってカウントダウン・イベントを実施する様だ。羽田空港第2旅客ターミナルの2階出発ロビーや国際線旅客ターミナルに「1,000日前」を記念する特別装飾などが用意された。第2旅客ターミナルの写真撮影スポットでは、撮影した人全てに特製「フライトタグ」をプレゼントされると言う。この他にも、スペシャルムービー第2弾として「Athlete Sound」のウェブ配信も開始するとの事だ。また組織委員会主催にて、日本橋や東京スカイツリータウンでおこなわれるカウントダウンイベント「みんなのTokyo 2020 1000 Days to Go!」では、来年01月から国内で就航予定のANA特別塗装機「HELLO 2020 JET」のモデルプレ―ンを展示する予定だと言う。また、クラブツーリズムは「東京2020大会を応援しよう!」ツアーを企画し、特設サイトで1000日前を迎えた10月28日から販売開始した。ツアーの一つは来年02月07日と03月07日に催行される「船から見る東京2020オリンピック開催予定地めぐり」で、オリンピック関連施設の整備が進む東京・有明地区を貸切遊覧飛行船で周航するもの。船内では、1992バルセロナ・オリンピックの金メダリストの岩崎恭子さんを迎えて「私とオリンピック」をテーマにトークセッションを行なう予定だと言う。この他、昭和39(1964)年の東京オリンピック・パラリンピック所縁の地と次回2020年の大会開催予定地を巡る日帰りツアー「東京1964大会ゆかりの地 東京2020大会開催予定地ドライブ」も実施。そのほか専用サイトで複数コースを紹介していく。これまで余りピンと来なかったものの、東京五輪開催までのカウントダウンは、現時点で既に1,000日を切った。日本で夏のオリンピックが初めて開催されたのは、昭和39(1964)年10月10日である。年代が高い方ならお分かりの通り、この日を記念して国民の祝日である『体育の日』が生まれた由縁でもある。2度目となる日本での夏のオリンピック開催は、※平成32(2020)年の07月24日になる。若い世代は当然、初めての経験となる国内で開催される、夏のオリンピック。そして高い年代層にとっては2度目の経験となる夏のオリンピックと言う事になる。20,376日(55年09ヶ月14日)ぶり、半世紀ぶりとなる「2020 東京五輪」。少しずつではあるが、オリンピックに向けて各企業や関係団体等は、ここに来て拡散PRに余念がない様だ…。ここの処、世界情勢がキナ臭いウワサが立ち上る中、平和の祭典であるオリンピックが無事に挙行出来る事を願う気持ちは全世界共通の想いでもある。(b^-゜)※…平成32(2020)年は、現時点暫定での年号表記です。天皇陛下の生前退位の件の報道に鑑み、今後、新しい元号に改元される事が予想されます事、予めご了承下さい。(開催都市が東京に決まった事を祝し、薬玉を割って開催を祝う関係者達。)

元楽天イーグルスの鉄平さん『定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台』へ初参加 !! ヘ(゚∀゚*)ノ

夏の暑い季節もようやく峠を越した感があるが、今年は異常な長雨に悩まされた年である。(*´Д`)=з そして秋になると各地で色んなイベントや催し物が各地で多彩に行われているが、今回はひとつ話題となったイベントでのお話しである。(^-^)/ 杜の都・仙台で毎年行われている『定禅寺ストリート・ジャズフェスティバル (JSF) in 仙台』が数えて今年で27回目を迎えた。毎年全国各地からアマチュアのアーチストが一同揃う一大イベントであるが、今年は新しくこのイベントにエントリー参加された方がいた。プロ野球 東北楽天ゴールデンイーグルスの元選手で『鉄平』の愛称で親しまれた、土谷 鉄平さん (34) その人である。\(゜□゜)/ 鉄平さんは今回『JSF in 仙台』へ初めての参加で、3人組バンドである『鉄柳 with Tack』のメンバーとして参加した。球団が運営するコミュニティーFMラジオ局の柳 雄介さん (37)、本間 拓人さん (25) の両パーソナリティーと共に昨年の05月に結成し、鉄平さんがアコースティック・ギターを担当、柳さんがボーカルを担当、本間さんがコーラスと打楽器カホンを担当した。(=◇=;) 鉄平さんは現役を引退し、東北楽天ジュニアコーチに就いた昨年の03月に、柳さんのラジオ番組で趣味のギターを披露したのがきっかけで、リスナーからの反応がすこぶる良く、番組で演奏を重ねるうちにバンド結成に繋がった。(=◇=;)「音楽は素晴らしい」と話す鉄平さんには、忘れられない思い出があると言う。趣味でギターを始めて半年後の平成24(2012)年の冬。東日本大震災で親を亡くした孤児の支援イベントで人気デュオ「ゆず」のヒット曲「栄光の架橋」を弾いたところ、「避難所で聴き、気持ちの支えになった」と涙を流した人がいた。(゚ーÅ)「たどたどしい演奏だったのに、泣いてくれて。もっと(ギターを)上手くなろうと思った」と鉄平さん。(*´σー`) 現役時代から時間を見つけては、コツコツと練習を重ねたと言う。:*:・( ̄∀ ̄)・:*: 楽天球団主催のイベント等でライブ活動をしてきたが、全国最大規模を誇る市民音楽祭のジャズフェスは、鉄平さんにとっても初めての憧れの晴れ舞台だった。本番前、柳さんは「僕達を知らない人にも楽しんで貰える様に頑張る」と意気込み、本間さんは「雰囲気に呑まれず、いつも通りやりたい」と自然体を強調した。(o^-')b 2日目となる09月10日・日曜日に、アーケード街にあたる『ぶらんど~む一番町』内にある一番町三丁目水のオブジェ前の路上ステージで楽曲を披露。このステージでは楽天球団のテレビCMにも使われたオリジナル曲『ぼくらの観覧車』など5曲を演奏した。(・∀・) 奇しくもこの日は、ホーム(Koboパーク 宮城)で対オリックス戦のデーゲームがあり、試合を観に行く予定だったファンの中には、当日朝の地元紙の朝刊で初めて知ったと言うファンも多かった様で「鉄平さんのライブを観に行きたかった」と残念がる声が多かった様である。(→o←)ゞ 楽天ファンの中には「来年のジャズフェスにも、是非エントリーして欲しい。今度は絶対に観に行きたい」と願うファンの声も多かったと言う。(*゜▽゜ノノ゛☆ この話題はこの日の夕方の時間帯、地元のローカルニュースでも取り上げられ、何かと話題を呼んだ。(^-^)/ 筆者自身も今回、他のイベント関連で残念ながら見逃してしまったが、来年再エントリーして出場となれば正しく「要チェック」となるグループである事は間違いなさそうである。(*^-^)b

2017 世界各地で異常気象の当り年…!( ̄□ ̄;)!!

07月も今日で終わり、夏真っ盛りの季節となった。ヾ(@°▽°@)ノ 関東地方から西では既に梅雨明け宣言となったが、関東地方から北ではいまだに梅雨明け宣言をしていない。梅雨明け宣言どころか、どうも梅雨明け宣言が見送りになりそうな状況である。( ̄□ ̄;)!! その前に、7月5日から6日に掛けて起きた、福岡県と大分県を中心とする九州北部で発生した集中豪雨である。((>д<)) 7月4日まで北陸付近にあった梅雨前線が、7月5日から朝鮮半島から西日本付近に南下。5日朝方、島根県西部で発達した雨雲が帯状に連なる線状降水帯が発生し、記録的な降水となった。5日午後には、二方向から流れ込んだ湿った空気が福岡県朝倉市付近で合流し線状降水帯が発生し、同じ場所で長時間猛烈な雨が降り続いた。福岡県朝倉市、うきは市、久留米市、東峰村、佐賀県鳥栖市、大分県日田市などで1時間に100mmを超える雨量がレーダー観測から解析された。福岡県朝倉市付近では3時間で約400mm、12時間で約900mmの雨量が解析され、気象庁以外が管轄する雨量計では、朝倉市寺内で5日15時20分までの1時間降水量169mmを観測。 また朝倉市黒川の雨量計では5日20時50分までの9時間降水量778mmを観測するなど、その降水強度は激烈を極めた。1時間値は昭和57(1982)年に発生した、長崎大水害に於いて同県長与町で観測された187mmに迫り、9時間値は平成25年台風第26号において伊豆大島で観測された789.5mmに匹敵するなど、朝倉市の山間部では局地的に9時間にわたり、気象観測史上でも最大級の集中豪雨となった。(((゜д゜;))) 05日17時51分、気象庁は「甚大な被害の危険が差し迫っている」として、福岡県の筑後地方と筑豊地方を中心とする地域に大雨特別警報を発表。更に19時55分には、大分県のほぼ全域にも大雨特別警報を発表。07月06日03時10分、気象庁は大雨特別警報の対象範囲として福岡県の5市2町を追加し、これで福岡県の大部分と大分県のほぼ全域が対象となった。福岡、大分両県ではこの大雨で各地で河川の氾濫や堤防の決壊が相次ぎ、山間部ではがけ崩れや道路の陥没が相次ぎ、両県を中心にした合計約51万7900人に避難指示や避難勧告を余儀なくされた。また両県の合計29地区の集落が一時孤立状態となった。同じ様な事態は九州だけではなく、東北にも及んでいる。秋田県では07月22日から東北付近に停滞する活発な前線の影響で、断続的に非常に激しい雨が降り、22日未明の降り始めから23日15時までの雨量が、秋田空港で348.5mm、横手市で314.5mm、秋田市郊外の雄和地区で304mm等、秋田県内の各地では平年の07月1ヶ月分を大幅に超え、記録的な大雨となった。( ̄□ ̄;)このため県内では、住宅の浸水や道路の欠損、土砂崩れで通行止めになり、孤立状態の集落が続出した。同県大仙市に住む70代の男性は、家の前の道路が10㎝程の深さまで冠水していた。男性は「午前2時頃に、側溝の水が溢れて冠水した。お昼までに雨が治まって家に被害が出ない事を祈っている」と話していた。(・_・;) 日本だけが異常気象に見舞われているのかと思えば、どうもそうではない様だ。今年初めの季節、北半球は冬真っ盛りであるのに対し、南半球は夏真っ盛りである。その南半球にあるオーストラリアでは大変な事が起こった。昨年(2016)11月18日に南東部のビクトリア州では、40℃の猛暑に見舞われ、州都のメルボルンでは、35℃を記録した。平年なら11月の最高気温は22℃のところだ。このため、暖気と寒気が急速に入れ替わった夏のオーストラリア南東部。激しい気温差だけでなく、住民達に健康被害までももたらした。(((( ;°Д°)))) しかも、異常気象はそれだけではなかった。オーストラリア本土から程近い、タスマニアでは雪が降る現象が起こった。( ̄□ ̄;) 異常高温を記録したビクトリア州と海を隔てたタスマニア島では、(11月18日、40℃) 6日後の11月24日に気温が一気に7℃まで下がり、雪が降ったのだ。異常高温を記録したビクトリア州と海を隔てたタスマニア島では、10月まではタスマニア島で雪が降る事はあるものの、異常高温を記録したビクトリア州と海を隔てたタスマニア島では、その6日後の11月24日に気温が一気に7℃まで下がり、雪が降ったのだ。((>д<))しかも暖気と寒気が急速に入れ替わった11月21日夜、ビクトリア州は雷雨に見舞われ、激しい雨と雷が発生し、それに強風が吹き荒れる最中に、住民達が「雷雨ぜんそく」を発症したのだ。(><;) このため州都・メルボルンでは、救急車を要請する電話が5時間に渡って鳴りやまず、通常の1日の6倍に当たる1,870件を記録。その多くが、ぜんそくの発作と呼吸困難を訴えるものだったと言う。( ̄□ ̄;)!! 因みに「雷雨ぜんそく」とは花粉症の一種で、ライグラスというイネ科の植物の花粉が飛散している時期に雷雨が重なると発症しやすく、花粉が水分を急激に吸収すると膨張・破裂し、気管支や肺まで入り込み、アレルギー反応を引き起こすのだと言う。この「雷雨ぜんそく」でビクトリア州では数千人が病院で受診し、昨年の11月末までに8人が死亡していると言う。(((゜д゜;))) 世界各地では、ここ最近異常気象に伴う、熱波や豪雨等が地域を問わず頻発している。国内でも最近では、竜巻やゲリラ豪雨を伴うダウンバーストが日常的に発生している。どれもこれも地球温暖化が招いたツケと言うべき帰結なのか…。たかが気象現象と侮る事は、もはや通用しない状況になりつつある様で、我々地球に住んでいるものとして、大変な宿題を抱えてしまった様である…。ヽ(;´Д`)ノ

東北新幹線 開業から『35』周年 !! (・∀・)

先般、06月23日(金)。東北新幹線は、昭和57(1982)年の大宮―盛岡間の開業から35周年を迎えた。そして東北新幹線の開業35周年を記念し、JR東日本が翌24日、オール2階のE4系車輛『Max(マックス)』を仙台―上野間で復活させた。同日限定の片道運行で、東北新幹線での走行は5年ぶりの事である。始発の仙台駅には、午前09時34分発の記念号を一目見ようと大勢の鉄道ファンや親子連れがホームに詰めかけた。家族5人で訪れた仙台市内の小学3年生の女の子は「家族で東京スカイツリーを見に行く。Maxに乗るのは初めてなので凄く楽しみ」と話し、笑顔で乗り込んで行った。E4系車両は長い先頭部が特徴で、平成07(1997)年から活躍。大量輸送に威力を発揮したが、高速車両の導入が進み平成24(2012)年に東北新幹線からは、姿を消した。現在は上越新幹線で運行されている。東北の念願だった東北新幹線は、首都圏との時間的距離を飛躍的に縮め、文化や暮らしを変え、また経済発展を促した。平成22(2010)年12月に新青森まで延伸し、全線開業した。然し、翌年平成23(2011)年03月11日の東日本大震災では施設が大きな被害を受けたが、同年04月29日に全線復旧し、被災地に向かう人々を運び、復興への歩みを下支えした。そして昨年03月には、北海道新幹線・新青森-新函館北斗間が開業。同新幹線に乗って東北を訪れる訪日外国人旅行者(インバウンド)が最近、急増している。開業から早35年の年月が経過し、この間に沿線の駅周辺にはオフィスビルやマンション、商業施設が次々と建設され、風景は様替わりした。嘗て、新幹線開業前は、上野-仙台間は『特急・ひばり号』で約4時間、上野-青森間の『特急・はつかり号』で8時間以上掛かった。現在は東京-仙台間が約1時間半、青森が約3時間。運行本数も増え、利便性が大幅に向上した。新幹線が東北の経済発展やライフスタイルの変化にさまざまな変化をもたらし、観光振興に貢献できた。首都圏と東北が、とても身近に感じる距離になったことが最も大きい。この35年間で車両やサービスはどう進化したのか…。やはり高速化に力を入れてきた事に尽きるだろう。走行時の安定性と騒音が課題だった。最新型車輛E2系の1,000番台の車輛は左右動を抑制する装置を付け、高速走行でも安定。パンタグラフも低騒音型になった。またE5系は車内を傾斜させるシステムによって、カーブ走行が速くなった。車体間の段差を無くし、騒音は更に低くなった。東日本大震災では施設にも大きな被害があった。一日も早い復旧を目指し、震災が発生してから11日後の03月22日には盛岡-新青森が再開したが、04月07日の余震で架線柱が傾く被害や架線の断線などを含め、1,750ヶ所に及ぶ被害が発生し、再び復旧に追われた。全線復旧した同月29日、沿線には『ありがとう』などと書かれた横断幕や手を振っている人が見られた。新幹線が社会的インフラを担う役割の大きさを改めて感じた時だ。東日本大震災では、過去の地震の教訓が活きた。高架の柱が崩れた阪神大震災後、柱の強化が進み、車輛が脱線した新潟県中越地震後には、脱線防止の設備が取り付けられた。東日本大震災では乗客にけが人はなく、営業中の車輛の脱線もなかった。試運転中の車両が脱線したが、大規模ではなかった。そして北海道新幹線は、平成42(2030)年度末の札幌延伸が予定されている。東京―博多間の新幹線は約5時間掛かり、利用者がそう多くない。一方、東京―札幌間も約5時間が想定されている。時間短縮が期待されるが、貨物列車と共用走行している青函トンネルでの速度が課題だ。青函トンネル内は260キロ走行が可能だが、擦れ違う貨物列車が風圧で倒れる危険性があり、現在は140キロに速度制限している。東北より更に寒冷な気候であり、より優れた耐雪、耐寒の設備が必要に成って来る。昭和48(1973)年の整備計画決定から43年を経て、昨年03月26日。北海道から九州まで、新幹線で繋がった。津軽海峡を隔て隣接する東北と北海道が経済、文化両面で交流が深まり、一体化する可能性も秘める。開業からおよそ1年3ヶ月経ち、徐々にその効果が現れている。訪日外国人旅行者(インバウンド)が他地域より圧倒的に少なかった東北に対し、北海道は東京、関西と並ぶ人気観光地。開業した新幹線に乗って北海道を目指すインバウンドが行き帰りの途中、東北にも立ち寄る様になった。今年01~03月の東北の外国人宿泊者数は、延べ20万2780人で前年同期に比べ58%増えた。全国では3%増に留まったのに対し、伸び率が際立った。東北各県の担当者は、最大の要因として北海道新幹線効果を指摘する。平成22(2010)年の01~03月と比べた場合、北海道に近い青森の伸び率が221%と東北で最も高い事も裏付けとなる。今年04月29日からの大型連休では、東北から北海道を訪れる旅行客が増えた。仙台市内の旅行会社では今年、新幹線で結ばれている函館に代わって札幌の人気が高く、前年と比較して2倍となった。前年に新幹線で函館を訪れた客が北海道のファンとなり、今年は飛行機を使って札幌に足を延ばしたケースが多いという。新函館北斗―札幌間の開業は平成42(2030)年度末の予定だが、東北・北海道両経済連合会のアンケートによると、新函館北斗までの開業が会員企業に与えた影響がプラスだったとする回答は24.8%だったが、札幌まで開業された場合は、38.3%に上昇し、早期延伸へ期待が高まっている裏付けとも言える。開業から35周年と言う節目を経て、これから先、東北新幹線はどの様に変貌を遂げて行くのか。この先、筆者自身も生きているか如何かは正直分からないが、筆者の後の次を担う世代がこの新しい事実を知る事になる。恐らくこの時には、仙台を起点に札幌まで。そして東京から札幌までの所要時間も大幅に短縮される事だろう。

消えゆく、スナック菓子『カール』!! !(´Д`;)

久々のOfficial Siteの更新と参ろう。既に報道されてから日数は経過しているが、明治の代表スナック菓子の定番である『カール』が店頭から姿を消しそうである。今年5月25日に、明治側はスナック菓子『カール』の東日本での販売を、今年9月を以って中止(終了)すると発表した。所がこの発表を受けた処、早くも品薄の販売店が続出する等、「カールショック」が起きている。( ̄□ ̄;)!!最盛期には190億円ほどあった売り上げがあったが、ここ最近では3分の1以下の約60億円にまで落ち込んだ事などが、販売中止の要因として挙げられる。何故、『カール』がこの様な状態に陥り、販売終了に追い込まれてしまったのか-。経済専門家の話に因ると、1つには、市場の変化がある。スナック菓子は全体的に堅調に成長している市場なのだが、人気はポテトチップスなど芋を原料とする菓子に集中していて、小麦やトウモロコシを原料とした菓子類は苦戦を強いられていているのが現状だ。しかも『カール』はトウモロコシ系を代表するスナックであるからだ。2つ目には、消費者のスナック菓子に対する好みの変化、いわゆる志向も変わってきている事だ。今人気なのはカルビーの「じゃがりこ」や「じゃがビー」などの所謂、“おつまみ系スナック”で、会社員が仕事帰りにコンビニで買って帰る様な、そうした大人の需要を汲み取っている。一方、『カール』の様な、食べると手がベタベタするようなスナック菓子類は、スマホを使う際に不便という事もあり、若者受けが余り良くない事も、売上低迷のを要因のひとつになっている様である。(-"-;A かつてCMに親しんだ中高年とは違い、カールの若者への認知度は意外に低いというのが要因ひとつだ。最後は、会社側自体が『カール』へ投資する意欲がなかった事だ。売上が低迷し、コストを掛けてまでテコ入れしようしなかった事も挙げられる。会社側は来年以降の新たな中期経営計画の策定に取り掛かり、それに伴い商品『ポートフォリオ』の見直しに着手していて、実際に昨年は、ベビーフードや家庭用ココアなどの生産販売から既に撤退。ヨーグルトやチョコレートなどの高シェア商品に経営資源を集める狙いがあり、『カール』自体も数年前から撤退が検討されていたという。果たして明治ブランドの入ったの商品撤退はいつまで続くのか。『カールショック』は序章と言えるかもしれない。因みにスナック菓子業界では、今やカルビーの一人勝ちだ。スナック市場では54%のシェアを持ち、人気のポテトチップスでは72%を誇り、湖池屋以下を大きく引き離して、国内で圧倒的な存在という状態はここ暫くは続くだろうと経済専門家の分析では、こう語っている。特に決定的な打撃追い打ちを掛けたのが、コンビニエンスストアの台頭である。コンビニは、シェアが1、2位といった売れ筋の主力商品しか基本的には棚に置かない。しかも再編が進んだコンビニ業界は、セブン-イレブン・ジャパン、ファミリーマート、ローソンの3強で国内の9割超を占めるが、カールを実際に扱っているのはファミリーマートの一部店舗に過ぎないと言う。つまり『カール』は他のスナック菓子との販売競争に敗れ、コンビニの棚から追いやられてしまったからだ。実際『カール』を手に取るためには、スーパー等で買うしか手がなく、認知度を更に推し下げてしまう結果を招いてしまった。ヽ(;´ω`)ノ 因みにコンビ二やスーパーからの『カール』の販売終了発表に伴い、ツイッターなどSNS(会員制交流サイト)では「寂しすぎる!」(iДi)「カールおじさん、今までありがとう」(/_;)/~~ 等と、販売終了を惜しむ投稿で溢れていると言う。『カール』の販売は、中部地方以東で今年8月生産分を以って終了し。具体的には三重県、愛知県、岐阜県、福井県から東では買えなくなる。ヽ(*'0'*)ツ 勿論、流通在庫などの状況にもよるが、現在の人気を考えれば、今年の9月には東日本の店頭からは消える見通しだと言う。当初は販売の全面終了も一時、社内で取り沙汰されたが、「歴史ある商品」(広報担当者)である事を考慮し、西日本エリアのみでの販売継続に至った。但し、西日本地域に限っても、「チーズあじ」「うすあじ」の2品に絞り販売を続けるだけで、生産及び販売体制は大幅に縮小化される事は間違いない様である。( ´(ェ)`)『カール』はトウモロコシを主原料にしたスナック菓子で昭和43(1968)年に発売開始で、農作業着のキャラ「カールおじさん」が、ほのぼのとした雰囲気で親しまれCMで流され始めた。歌手の三橋美智也さん(故人)がCMソングを歌い、最後の「それにつけてもおやつはカール ♫」のキャッチフレーズと共に家庭に浸透した。東日本での販売終了の発表を機に、マスコミやSNSで多く取り上げられここに来て逆に注目は高まった。只、来年7月25日には『カール』誕生から丁度、節目となる50周年を迎える。このため「販売が継続される西日本の売れ行き次第では、節目となる来年夏にも東日本での復活があるのではないか…。?」。とのこの疑問に対し、明治の広報担当者は「5月25日に販売終了を発表したばかりで、方針の変更はありません」とキッパリと説明している。スナック菓子の創生とも言うべき『カール』だが、やはり時代の流れの波、消費者の好みの変化と言った変化の波には勝てなかった様だ。節目となる来年の50周年を境に昭和の歴史を背負ったスナック菓子が市場から静かに姿を消しつつある…。(´・ω・`)

季節外れの『インフルエンザ』が流行 !!((>д<))

5月の大型連休も終わって、三週間が経過。しかも暦の上では既に『立夏』を過ぎている。段々と日中帯の気温も初夏をも思わせる陽気となり、衣替えに限りなく近い状況になってはいるものの、やはり夕方から夜に掛けてはやや肌寒い傾向があり、上にもう一枚の羽織物がないと過ごせないのもある様だ。その季節の変わり目による影響なのかこの季節に限って『インフルエンザ』が流行していると言う。。(;°皿°) しかも『A型』と『B型』の両方が流行っていると言うのだ。((>д<))普通『インフルエンザ』と来れば冬の季節、空気が乾燥する事による空気感染が主であり、手洗いや嗽(うかい)、マスクの着用が主だったり、また家庭や職場では消毒液や加湿器による、室内の過度の乾燥状態の予防で防げる事は皆さんご承知の事と思う。所が今年は風邪の流行時期が終わっても、季節の変わり目そして昼夜の寒暖の差が激しい事が要因で二つのタイプの『インフルエンザ』を引き起こす要因にもなっている様だ。特にA型のインフルエンザに感染してやった直ったと思ったら、また風邪に感染してB型のインフルエンザに感染したと言う報告もあるそうだ。A型とB型ではまるっきり感染の仕方も違う様である。今年の『インフルエンザA型』の特徴としては、下痢や嘔吐に関しては身体が脱水気味に成る事もあるとの事で、早めから水分補給をする事が必要だと言う。因みに『インフルエンザB型』となるとかなり厄介で、実際に『インフルエンザB型』に罹った人の声を聞いてみると、「再熱や再発した、症状がぶり返した」「中々治らない」「熱が上がったり下がったり、熱の出方が変」「熱がない」と言ったのが症状だと言う。つまり症状の重症化よりも症状が変動する事に、違和感を覚える患者さんが多いと言う事である。何故そうなってしまうのか?風邪に感染した人と感染してない人の両方の立場から考えて行くとこういう事である。まずは風邪に感染してしまった立場からすると、症状が軽い場合、人は十中八九、風邪を引いたと勘違いする。すると「これ位なら大丈夫」とこれまでと同じ様に通学、通勤をして身体に負荷を掛けてしまい、既にインフルエンザに罹っているのに、身体を休めずに無理をしてしまう…。(><;) このインフルエンザだと、発覚するまでの時間の間に、風邪の病状が重症になったり治療を始めても完治までの期間が長引く結果になると言う…。(*´Д`)=з 一方で感染していない人にとっては何が問題と言われているのか?と言うと、それは「人がウイルスを運ぶ」事にあると言う。『インフルエンザB型』のウイルスの感染力か強いか如何かと言うよりも感染した人が人込みや外に出る事でインフルエンザを運んで流行させてしまう可能性があるのである。やはり風邪と自覚するまでは、無理をして学校や職場などに外出してしまい、どうしても家族や周囲の人も風邪だと思って警戒を怠ってしまい、それが原因で一気に感染経路が拡大し、流行してしまうのが一つの原因である。(-"-;A 折しも今年は日中の時間帯は気温が上昇しても夜になると薄手でいられなく、一枚上に羽織らないと寒いと言う方々が多く、しかも服装調節でかなりの四苦八苦をされている方も多い様だ。またこの季節の変わり目の変動で体調が気候の変動に付いて行けず体調を崩したり、また季節の変わり目により、冬から春先に掛けては、空気中の雑菌も浮遊していたりして、身体への外的からの抵抗力がないが上に感染してしまうケースもここ最近多い様である。(-"-;A 何れにせよ、風邪に罹ってしまった場合は無理をしない事が一番であり、万が一身の回りに風邪等に感染してしまった人がいる場合には、近づかない様にする他、感染に罹った人を早く快復させられる様な環境にセットする等の配慮も必要である。また風邪は昔から万病の元と言われ、侮らない方が適切である。風邪が元で肺炎を併発して亡くなったりとか何かと厄介な事もある。「たかが風邪」「されど風邪」と素人判断の様な高を括る様な行為はせず、必ず医師に診察して貰ってその風邪の症状に見合った方法で、完全に治して置く事が大切である。絶対に侮らない事が適切である様だ。(・_・;)

食材不況『スルメイカ』編 !!ヽ(;´ω`)ノ

前回の『ジャガイモ』編に引き続いて、もう一つ食材不況に陥っているのが、庶民の食卓に欠かす事の出来ない食材『イカ』である。イカ刺し、イカソーメン、イカ焼き、イカのゲソ天、イカの塩辛等、イカ料理はたくさんあるが、今年はそのイカがここ最近の不漁により、食卓から消えつつある状態だと言う。!(´Д`;) 全国有数の『スルメイカ』の水揚げ量を誇る、北海道函館市。透き通るようなとれたてのイカの刺身が多くの観光客を惹き付けてきた。しかしその函館が、今イカの記録的な不漁という異変に見舞われている。ヽ(;´ω`)ノ その余波は観光業から水産加工業まで地域の中核産業を脅かしていると言う。全国的にも知られる函館の代表的な観光スポット「函館朝市」。例年200万人が訪れるこの場所は、昨年3月の北海道新幹線の開業をキッカケに、更に多くの観光客を集めている。函館朝市の最大の呼び物が、水槽を泳ぎ回る『スルメイカ』を釣り上げてその場で味わう、イカの釣堀だ。これ以上ない程の新鮮なイカを楽しみながら味わおうと、観光客が長い列を作ることもしばしばだ。 しかし今シーズンは、通常通りの釣堀が営業出来ない日が増えていると言う。最大の理由はイカの水揚げ不足で、昨年12月上旬のある日は、水揚げが殆ど無かったために1匹も仕入れがなく、多い時にはおよそ300匹がひしめくように泳ぐ水槽には、たった15匹が入っているだけの状態で営業を始めていた。当然、すぐにイカは釣り上げられ、2時間程で営業は終わりに。その後、釣堀目当てに訪れた観光客ががっかりした様子で朝市を後にして行くのはしばしばだと言う。店の担当者は「こんな事は初めて。イカが確保出来ずに全く営業が出来ない日も10日程あった。水揚げが増えない限りどうしようもない」と頭を抱えていると言う。(*´Д`)=з 例年、6月から翌年の1月まで行われるスルメイカ漁。夜の海を幻想的に照らすイカ釣り漁船の「いさり火」もまた、地元の観光資源の1つだ。 しかし函館のイカの水揚げ量は、この8年間、減少傾向が続いていて、そして遂に今シーズンは、序盤から不漁に。イカ漁の終盤を迎えた昨年11月末までの水揚げ量でも1,460トンと、この10年で最も少なく、記録的な不漁となっていると言う。しかも 函館朝市では、新鮮なイカの刺身を売り物にするレストランでもイカを提供出来ない日が多くあり、朝市の関係者からは「水揚げが回復しなければ、函館の観光全体にも影響が及びかねない」と危ぶむ声が聞かれ、観光業から水産業界を含め地域経済に与える打撃は計り知れず死活問題となっている。なぜイカが取れないのか。漁場となる津軽海峡周辺の海水温が高くなっている事などが指摘されているが、はっきりしたことは分かっておらず、「対応策も定まらない」と言う。漁期は毎冬の1月いっぱいまでだが、大半の漁業者が「漁に出ても水揚げは期待出来ない」と、漁を諦めている状態だと言う。函館には、全国で最も多い70を超えるイカの加工業者が集積している。戦後間もなく創業した老舗の1社の場合、従業員凡そ250人のこの会社の看板商品は、地元で水揚げされたばかりの生のイカを細切りにした「イカそうめん」。新鮮さが売りものだが、思う様にイカの仕入れが出来ず、例年の30分の1程の量しか作れず、代わりに冷凍イカを使って製造を続けているが、冷凍イカの取引価格も前のシーズンに比べると3倍程にまで値上がりしている。ヽ(;´ω`)ノ イカは庶民の味として手頃な値段で親しまれてきただけに、仕入れ値の上昇を商品価格に反映させるのは簡単ではなく、利益が殆ど出ない状況だと言う。イカの不漁はご当地函館だけではない、蕎麦王国・山形では『イカのゲソ天』が蕎麦やラーメンのトッピングとして付く。その山形のソウルフード「ゲソ天」が全国的なイカの不漁で危機に瀕している。原料のイカゲソが品薄で、値段が昨年から2倍超に上昇。品不足の影響で質も悪化し、やせたゲソが増えていると言う。山形市内の弁当店では『ゲソ天丼』がメニューから姿を消した。蕎麦やラーメンのトッピングとして定番の『ゲソ天』だが、山形県の漁協担当者は「もはや高級魚状態」といい、飲食店は悲鳴を上げていると言う。「原料不足により、下足(げそ)天丼は暫くの間お休みします」。山形市内の弁当店では今年2月から「下足天丼」をメニューから外した。人気ベスト5に入る399円の看板弁当。蓋が閉まらない程のボリュームが売りで、イカ1匹分のゲソが入っていた。不漁で昨秋から原価が倍以上になった上、質も悪化。細いゲソは揚げると水分が抜けて小さくなる。「同じものを出せない位なら休んだ方がいい」と店長は創業以来初めて苦渋の決断をしたと言う。ヽ(;´ω`)ノ ゲソ天は山形県民にとって長年親しまれてきた庶民の味。安価なイカゲソを大量に仕入れて揚げ「安くてお腹いっぱい食べられる」代表格だ。「味と品質のいい国産にこだわっている。我慢するしかない」「ゲソの代わりになるものはない。数を減らすか値上げしかない」等と山形県内各店の飲食業者は悲鳴を上げる。専門家の話では「来季も漁獲高が劇的に良くなるという見通しはない」と言い、ゲソ天を含め、イカ不漁の危機は暫く続きそうで、庶民の味であるイカは益々、食卓から遠のく存在に成りそうである。ヽ(;´Д`)ノ

食材不況『ジャガイモ』編 !!ヽ(;´ω`)ノ

ここの処、スーパーやコンビニのお菓子関連の売り場に行くと、ちょっとした異変が起きている様である。特にお菓子好きの方にとっては、何ともやりきれない心境だろう。ビールのおつまみの友や何かと手軽に食べれる『ポテトチップス』が最近、店頭から消えつつある事である。ヽ(;´Д`)ノ「ジャガイモ系のお菓子ってなんか意識していなかったですけど、消える事ってあるんですね。」と口々に語る消費者は多い様だ。(-"-;A 事の発端だが、ジャガイモの約7割を北海道産に頼っている大手菓子メーカー。しかもその収穫期は例年9月頃に、“ さぁこれから収穫 ”というタイミングで、昨年立て続けに道内の主産地を4つの台風が襲った事で収穫量が激減してしまったからだ。o(_ _*)o  貯蔵分から原料調達を賄っていたため、台風の影響は新商品の発売延期などに止まっていたのだが、ここにきて貯蔵分が底を尽きてしまいポテトチップスの一斉休売に追い込まれてしまった様である。(・_・;) ジャガイモは何もポテトチップスに限った事でもない。ジャガイモそのものを食材として必要としている業界は大慌ての様だ。もちろん家庭にもその影響は計り知れない。(゚_゚i) そもそもジャガイモの収穫は、5月頃から九州の各産地で収穫が始まるものの、全てを合わせても北海道産より一桁少ない量に留まると言う。更に熊本県産の収穫量は、昨年の地震の影響が出るとも言われており、休売期間はかなり長引くかも知れないとの事の様だ。(°д°;) 因みにジャガイモは国内各地全てで生産されていて、収穫は5月中旬頃の九州から始まり、日本列島を北上するにつれて6月、7月、8月と時期がズレて行く様である。9月頃が最も収穫されるのであれば、やはり今年の台風の進路がどの様に接近して来るかに掛かってくる処になるだろう。(・_・;) 大手菓子メーカーも「海外のジャガイモを一部使用するなどして、追加発注で対策しようとしていたが、如何せん品質が悪く補えなかった」との様である。(><;) ここ暫くスーパーやコンビニの店頭からは、ジャガイモ系のスナック菓子は無くなりそうで、自宅での飲み会やホームパーティー等は、少し物足りない状態になるのかも知れない。ヽ(;´ω`)ノ