『鉄道ギャラリーで、炭鉱の町をジオラマで再現』 !! (((o(*゚▽゚*)o)))
鉄道好きの鉄オタと呼ばれる層も様々で、乗り鉄、撮り鉄、施設関連鉄、模型鉄等様々な鉄道マニアが多い。特にここ数年前からは、女性の鉄道オタク=鉄女も出現していているご時世である。そんな中、ちょっとユニークな話題をお届けする事にする。山形新幹線の終着駅に中る山形県新庄市のJR新庄駅。ここに併設されいるのが、最上広域交流センター「ゆめりあ」である。ここ「ゆめりあ」に於いて、鉄道ギャラリーが設けられ、親子連れや鉄道ファンらの目を楽しませている。同センター運営する最上広域市町村圏事務組合は、駅周辺の賑いに繋がった鉄道を生かして、地域の魅力発信を目指している。このギャラリーは今年の04月に開設され、約100点を展示。鉄道模型を使った人気のジオラマは、山形新幹線「つばさ」が走る場面や、昭和35(1960)年から昭和37(1962)年頃の、奥羽本線舟形(ふながた)駅周辺を再現している。列車の写真や記念ヘッドマーク等も並んでいる。因みに舟形駅のジオラマは最上郡舟形町在住の自営業を営む70代の男性が、写真や記憶を基に当時炭鉱があった町の様子を約4年の歳月を掛けて作り上げたと言う。自ら設けた展示場を数年前に閉じた後は町内に保管していたものの、今年04月のギャラリーの開設に合わせて提供したと言う。前出の通り舟形町は嘗ては炭鉱で栄えた町としての記録が残っている。同町と最上郡最上町、尾花沢市に跨る一帯は、嘗ては「日本三大亜炭田」と呼ばれた亜炭田の一大産地であり、亜炭以外にも、満沢鉱山や月楯鉱山(共に最上町)等が存在していた。同町にあった福舟鉱山もそのうちの一つであり、江戸時代には金や銀を、大正時代以降は銅・鉛・亜鉛鉱山として三菱金属鉱業の手により操業されていた。福舟峠は同町の東側に位置し、ここで採掘された鉱物を今のJR陸羽東線・長沢(ながさわ)駅まで輸送するルートとして、馬車が通れる峠として整備された。現在の道路は、基本的にこの時に開削されたものである。しかし現在は、福舟鉱山は閉山しており、鉱山跡に鉱毒を処理する施設とその管理人だけが常駐している。 今回、嘗て町内で自ら設けた展示場を数年前に閉じた後は、町内に保管していたジオラマをそのままの形で新しいギャラリーで復活する陽の目を見る事となった。男性は「素晴らしい場所に置いて貰った。同世代には懐かしさを感じて貰い、若い人には駅が欠かせない場所だった事を知って欲しい」とこの様に語った。JR新庄駅には、奥羽本線、陸羽東線、陸羽西線の3路線に加えて、平成11(1999)年からは、山形新幹線が乗り入れた。周辺には築100年以上の赤煉瓦機関庫等が残り、最上広域市町村圏事務組合は、地域活性化に鉄道を活用したい考えで、今後は新庄神室産業高校(新庄市)の生徒と最上地域の8市町村に因んだジオラマを作り、展示する予定だと言う。地方の人口減少過疎化が加速する中、新庄を中心とした山形県最上地域も例外ではない。地方再生町興しの切り札として地域の特色を活かした街づくりが成功するかどうか、今後の地道な活動の継続が問われそうである。(^-^)/
(嘗て、炭鉱が賑わっていた当時の舟形駅周辺を再現した、ジオラマ。)
(鉄道ギャラリーがオープンし、精巧な鉄道模型が走るジオラマに見入る、見学者。)
(自営業を経みながら独学でジオラマや人形作りに取り組んできた。人のドラマ、人間の営みを形に残したいと思いから制作至った。舟形町に在住する男性。広さ5畳程に広がるジオラマに敷かれた幅9mmの線路の上を、Nゲージの蒸気機関車が勇壮に走る。半世紀以上前の舟形町が甦り、そこにいた人達に思いを馳せる。)
(最上広域交流センター「ゆめりあ」)【動画】
JG7MER / Ackee
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