JR仙台駅前、旧さくら野 (丸光) 百貨店 跡地再開発に、ドンキホーテ運営会社が名乗りへ !! \(゜□゜)/
久々のOwnd Blog Siteの更新である。(^-^)/ ここ最近、連日の様に『新型コロナウィルス拡散問題関連』のニュースでうんざり気味の読者も多い様であるので、今回は違った話題をお届けする事にしよう。(^-^)/ 読者の皆様のお住まいの地域、都道府県庁所在地に必ずや一店は『百貨店=デパート』の存在が在った。(^-^)/ しかしこれも時代の変化と共に、郊外型大型商業施設の登場と相俟って、大都市圏のみならず地方都市に於いての百貨店の存在意義は徐々に低下し閉店及び廃業に追い込まれる様な状況に追い詰められてしまった。(-"-;A 東北の中心都市・仙台でさえご多分に漏れずである。嘗てJR仙台駅前の一等地にあった旧さくら野百貨店がそれである。創業当時は、丸光百貨店の名前で創業を開始し、戦後の仙台経済圏に於ける街中の復興的シンボルとも言えた。最盛期には屋上遊園地を設置したり、昭和28(1953)年、当時は100万円はしたと言う、荒城の月のミュージック・サイレンを設置する等、正に東北の雄と言うべき百貨店でもあった。しかし創業者の逝去と共に状況は一変し、生き残りのためにダックシティグループの傘下に入ると迷走をし始めた。ダックシティ丸光、仙台ビブレ、そしてさくら野百貨店と名称が替わったものの、この時既に大型商業施設郊外店の競争が激化し、従来の百貨店としての機能は低迷を続けた。平成27(2017)年02月27日、さくら野仙台店を運営していた、(株)エマルシェが仙台地方裁判所へ自己破産を申請。駅前の一等地であるが故に、当時のこの発表に地元は元より東北全体への衝撃度は計りし得ない程の衝撃だった。その日から間もなく3年の年月を経てここに来て大きな動きが起こりつつある。旧さくら野百貨店の北隣に位置しているディスカウントショップ『ドン・キホーテ』が営業しているが、これを運営している『パン・パシフィック・インターナショナル・ホールディングス』( 以下 PPIH / 東京都 )が、さくら野百貨店仙台店の跡地の約8割を取得する事が判明したからである。\(゜□゜)/ 事実となればJR仙台駅前の一等地での再開発計画が一気に動きだすと言う事になる。旧仙台店は八つのビルで構成され、敷地面積は約5,500平方メートル (約 1,633坪) で、そのうち約8割の土地と建物は、匿名組合が出資する『さくら野 DEPT 仙台合同会社』(以下 DEPT / 東京都)と、投資ファンド『東北リテールマネジメント』(以下 リテール / 東京都) がそれぞれ所有していた。今年02月16日にPPIH側は、DEPTが実質的に持つ土地建物と、リテールの全株式を取得する契約を締結。事実上、旧仙台店の最大のオーナーとなった。PPIHは建物を解体した上で、跡地の一体的な再開発を目指し、商業施設、ホテル、オフィスを組み合わせた延べ床面積最大で、約11万平方メートル (約 33,275 坪)、高さ最大約150mの複合ビルを構想している。\(゜□゜)/ ビルの建て替えなど再開発を促す仙台市の「せんだい都心再構築プロジェクト」による容積率緩和を目指し、高機能オフィスを整備すると言うのだ。他の5地権者や仙台市の担当者に対しPPIHは、先月02月19日に、取得の経緯や跡地利用の構想を説明した。PPIH側によると、04月から月1回程度、仙台市の担当者も交えた勉強会を開く事を決めた。来年 令和03(2021)年03月に地権者で構成する「まちづくり協議会」の設立を目指す。計画では、令和03(2021)年秋頃に準備組合を設立し、令和05(2023)年秋頃にビルの用途や規模を定める都市計画を決める。早ければ令和06(2024)年度中の着工、令和09(2027)年度中の完成を目指す。◝( ˙ ꒳ ˙ )◜旧仙台店を巡っては、ビルオーナーらの間で行われていた複数の調停や訴訟が平成31(2019)年02月に全て終結。DEPTは売却先を模索し、一時は複数の不動産開発業者に入札参加を呼び掛けた。結局入札は実施されず、PPIHに取得を提案したという。PPIHは取材に対して「JR仙台駅前の一等地で非常に可能性がある場所であり(仙台店が)閉店されたままの状況は、好ましくない。仙台市や地権者と協議し、より良い街創りに繋げたい」としている。 (^-^)/ これまで停滞していたJR仙台駅西口の再開発に、『ドン・キホーテ』の運営会社『パン・パシフィック・インターナショナル・ホールディングス』(PPIH / 東京都)が名乗りを上げた。取得するさくら野百貨店仙台店跡地の隣地に同社の運営店舗が立地していた上、デベロッパーへと事業を広げつつある経営戦略とも合致した。旧仙台店閉店から1年4ヶ月後の平成30(2018)06月、PPIHは運営するドン・キホーテ仙台駅西口本店を隣にオープンさせている。開発部門の責任者は「(物件を)関心を持って見守ってきた」と話す。旧仙台店を運営した「エマルシェ」は、平成28(2016)年04月、当時の最大のオーナー・さくら野DEPT仙台合同会社が推薦する投資ファンド、『東北リテールマネジメント』の関係者を経営陣に据えた。PPIHの前身のドン・キホーテHD傘下の日本商業施設による要請で社長に就いたこの関係者はその後、同HDの執行役員に就いた。DEPTの所有者は匿名投資ファンドで実態は不明だ。一連の経緯から関係者は「DEPTの所有者とPPIHには少なからず関わりがあるのではないか」とこの様にみる。跡地の取得により、PPIHがデベロッパーとして表舞台に登場する形となった。PPIHは今年02月に、東京・渋谷で地上28階の複合ビルを着工させた。高層ビル開発として、全国規模では仙台が2棟目になり、共に『ドン・キホーテ店舗の近隣』という共通点が特筆すべき点ある。 (^-^)/ 本業の小売りを展開する中で不動産開発にも業態を拡大させており、今回の再開発で仙台の拠点化が一層進みそうだ。仙台市幹部の一人は「(購入先が)、大手デベロッパーではなかったので正直、驚きが大きい」としつつ「再開発が動き始めるというインパクトは大きい。仙台の街づくりを踏まえた再開発を計画している様で、一定の期待はある。市の都心再構築プロジェクトにも合致する」とこの様に語った。これまで旧さくら野仙台店の閉店から、全く再開発の目処さえ立たず浮上しては消えると言った状態で、正に塩漬け状態だった、JR 仙台駅前の一等地とも言うべき場所。同地の前を通る玄関口である青葉通は、仙台市がJR仙台駅西口の青葉通の一部区間を通行止めにし、屋外広場を整備する構想の方向で検討している事から、昨年令和元(2019)10月に始動した都心再構築プロジェクトの一環の中でも。旧さくら野百貨店仙台店や同地南向いの旧GSビル跡地などの関係者の協力も得て、青葉通を含む駅前再開発事業と連動させた整備構想を描いている。これらの構想が実現すれば「東北の玄関口」は、これまでとは全く違って、大きく姿を変える事になる。(((o(*゚▽゚*)o))) 令和新時代に入り、JR 仙台駅前の様相が今後大きく替わる事は間違いなさそうで、今後の動きから眼が離せない様である。(*^―^*)ゝ*
(平成27(2017)年02月27日に自己破産にて閉店した、旧さくら野仙台店。(-_-) 駅前の一等地であるが故、しかも東北の表玄関でもあるため、今現在を以って再開発の光明が見えて来なかったが、ここに来て潮目が替わってきた様である。w川・o・川w 一日も早い再開発が待たれる。(-。-;))
(ディスカウントストア大手『ドン・キホーテ』を運営する親会社『パン・パシフィック・インターナショナル・ホールディングス』( 以下 PPIH / 東京都 ) が土地を取得。開発構想に因ると、オフィスビル、商業施設テナントを取り込み、JR 仙台駅前及び地下鉄・南北&東西両線の接続地点でもあり、一等地の利点を活かしての再開発構想になる。県外客をターゲットに集客力を仙台駅前周辺にに集中させる構想で、そう遠くない将来的、これまでの仙台駅前の様相が一変する可能性も…。(=◇=;))
(青葉通を挟んで、旧さくら野百貨店と向かい合って建っていた『GSビル』(解体前)。)
(解体工事中の『GSビル』。現在は解体は終了し有料駐車場として暫定的に機能している。旧さくら野百貨店と向かい合い、青葉通と愛宕上杉通角の一等地に位置している。今後、旧さくら野百貨店の解体工事が本格化すれば、互いに青葉通を挟んで向かい合っているため、一気に再開発へ向けて動きだす事は間違いなさそうだ。\(゜□゜)/)
(現在のJR仙台駅前のメイン通りである青葉通。しかしこれから先のそう遠くない将来、この車が往来する光景が一変する事になるかも知れない…。(=◇=;)))
(青葉通のうち駅前通交差点と愛宕上杉通交差点間の約150m区間を屋外広場にする。中央分離帯のケヤキ並木や歩道の街路樹は生かし、片側4車線ずつある車道部分を一部緑地化。テーブルやベンチを配置し、歩行者が散策出来るようにする。仙台駅に直結する青葉通の一部は車両が通行出来なくなり、駅西口に乗り入れる路線バスやタクシー、一般車両は遠回りを余儀なくされ、高速バス乗り場も移転が必要になる事から、仙台市は広場を整備する区間の交通量調査に近く乗り出して、車両通行止めにした場合の影響などを検証する。仮にこの構想が実現した場合、青葉通の広場化と沿道の再開発で、駅西口に東北の中枢を担う商業・オフィス機能を集積させるとともに、交流や賑わいを生むエリアに生まれ変わり、これまでのJR仙台駅前の様相は大きく様替りする事は確実な様だ。(((o(*゚▽゚*)o))))
(旧さくらの百貨店の不動産取得を報じた地元新聞記事。)
(JR 仙台駅前を駅前通を起点として、愛宕上杉通に接する約150mの区間を広場化するもの。駅前一等地にある旧さくら野百貨店、旧GSビル、平屋建て商業施設『EDEN(エデン)』を含めた、大規模な再開発計画になる。これが実現するとこれまでの JR 仙台駅前の様相は大きく様替りに…。 (=◇=;))
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【関連画像と懐かしの音源動画】
『丸光(後 旧さくら野)百貨店』当時のミュージック・サイレン !! 。(((o(*゚▽゚*)o)))
(『荒城の月』のミュージック・サイレンの駆動部。旧さくら野百貨店の前身である創業『丸光百貨店』の増改築完成に伴い設置された。ミュージック・サイレンの音階の構造は、10音階のキーがあり、当時100万円はしたと言われるミュージック・サイレンは、1都市に1箇所が前提で国内では当時は25箇所あったと言う。当時の仙台駅前・丸光百貨店の屋上に、斬新なアイディアで知られていた、創業者・佐々木光男社長(故人)の手で以って、昭和28(1953)年10月21日に設置された。曲目は仙台に所縁のある曲と言う事で『荒城の月』が選ばれた。作詞者の土井晩翠(故人)は、地元・仙台出身の作詞者でもあり詩人でもある。同年12月11日 09:00に、吹鳴式が執り行われ、岡崎榮松仙台市長(故人)、佐々木社長2人の立ち会いの元でスイッチボタンが押されミュージック・サイレンとしての稼働の歴史が始まった。当初は、09:00、12:00、17:00の3回だったが、その後15:00、21:00の時刻も追加され計5回となった。更に、宮城県警察から青少年の健全育成・非行防止に活用して欲しいとの要請を受け、21:00のミュージックサイレンは、帰宅を促す『この道』に置き替えられた。また当初、09:00 台に流れていたミュージック・サイレンは、その後丸光百貨店(当時)の開店時刻と併せ、10:00 に変更された。以後、市民に長く慕われ、仙台市及び駅前の顔として愛され続けたが、長年使用に伴う経年劣化に伴い、晩年末期には音階の一部が抜け落ちる等の状態に陥り、代替修理部品も無かった事から、昭和62(1987)年07月15日の突然の故障により、12,270日間(33年7ヶ月と5日)に渡って、仙台市内を吹鳴し続けてきたミュージック・サイレンとしての役目を終えた。当時この場所から仙台市内は元より、沿岸部の方まで風の向きによっては、ミュージック・サイレンが届いていたと言う。 (=◇=;) )
(『荒城の月』のミュージック・サイレン) ※…当時の街中の車の行き交う音源入りで、ミュージック・サイレンの立ち上がり起動音、終息音までも入っています。(゚ーÅ)
(夜の21:00台に流れていた『この道』のミュージック・サイレン)
(当時、21:00台に流されていた『この道』のミュージック・サイレン) ※…動画上では1回のみの吹鳴ですが、当時は2回続けて吹鳴されています。(^-^)/
JG7MER / Ackee
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