北海道・北東北の縄文遺跡群 世界遺産候補に !! (((o(*゚▽゚*)o)))
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産を巡り、国の文化審議会は先般07月30日、令和03(2021)年夏の登録を目指す候補として「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道と青森、岩手、秋田の3県)を選んだ。(((o(*゚▽゚*)o))) 閣議了解を経て、来年02月01日の期限までに政府の推薦書が提出される見通しだと言う。(^-^)/ 縄文遺跡群は、日本を代表する集落跡「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」(青森市)や、大規模なストーンサークル「大湯(おおゆ)環状列石」(秋田県鹿角市)等17件の遺跡で構成され。約1万5千年前の定住化から本格的な稲作の開始まで、1万年以上も続いた縄文文化の変遷を示すとされる。大型建物や盛り土による祭祀(さいし)施設の跡の他、世界最古級の土器や漆器、芸術性豊かな土偶も出土。安定した定住生活と成熟した社会があったとみられる。(=◇=;) 只、貝塚や盛り土など、一見しただけでは分かり辛い埋蔵文化財の価値を、今後どの様に伝えていくがが課題となっている様だ。(^-^)/ 因みに縄文遺跡は全国各地にあるが、関係自治体は「津軽海峡を挟んで文化圏が形成された上、遠方との交易も活発で、縄文文化を代表する地域だ」と強調する。(^-^)/ 文化審議会は昨年07月にも推薦候補に選定したが、文化と自然を合わせて1国1件の推薦枠を巡り、自然遺産候補の「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島県、沖縄県)と競合したため、政府は「奄美・沖縄」を優先させ、縄文遺跡群は推薦を見送られた経緯がある。今回は競合する自然遺産候補がなく、縄文遺跡群が推薦される見込み。順当に進めば、2年後のユネスコ世界遺産委員会で正式な登録可否が審査される。政府が今回、縄文遺跡群の推薦を決めた場合、17の構成資産の保存活用に地域が一層参画することなどが課題となるが、柴山昌彦文部科学相は「自治体と協力して推薦書の磨き上げに努め、イコモス(ユネスコの諮問機関)の審査の際、適切に説明出来る様準備する」とこの様に話した。文化審議会の関係者は記者会見で「農耕文化以前の漁猟段階に於ける社会の在り方と、高度な精神文化が考古学的に証明出来る遺産となる。」とこの様に語った。政府が推薦を決めるとなった場合、来年秋のユネスコの諮問機関が直接現地を調査し、再来年の令和03(2021)年05月頃に登録の可否を勧告し、同年夏の世界遺産委員会で審議される見通しだ。因みに東北で世界遺産の指定を受けているのは、平成23(2011)年06月26日(パリ現地 06月25日)に奥州・平泉が世界文化遺産。同じく東京の小笠原諸島が世界自然遺産と併せて登録されている。仮に世界遺産登録となれば東北では10年ぶりの出来事となる。(*^-^)b 日本列島の中でも特に豊富な天然資源に恵まれ、縄文人は狩猟や採集で食料を確保してきた、北海道・北東北の縄文遺跡群。農耕や牧畜を選ぶ事もなく1万年以上に渡って定住集落を営み、独特の文化を形成してきた事は人類が多様な歴史を刻んで来た事を示す一つの証左とも言え、また開墾に伴う自然破壊や戦争も見られず、人間が自然と上手に付き合ってきた様子が伺える。果たして来たるべき、令和03(2021)年の新たなる世界遺産に向けての扉をこじ開ける事が出来るのか…。日本の「縄文」から世界の「JŌMON」への新たなる歴史的世界遺産登録へ向けての苦難の茨の道は続きそうである。(^-^)/
JG7MER / Ackee
(縄文文化を色濃く反映している都市近郊型遺跡の『三内丸山(さんないまるやま)遺跡公園』(青森県青森市)。縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡で、青森市内を流れる沖館川右岸の河岸段丘上に立地する。平成12(2000)年に国の特別史跡に指定。遺跡には住居群、倉庫群のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料や出土品の展示施設「縄文時遊館」もある。(*^-^)b )
(約130メートルの距離を置いて、東西に対峙する野中堂と万座の環状列石で構成されている。『大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)』<副称 大湯ストーンサークル>。山岳丘陵の末端にのびる舌状台地の先端部に造られており、河原石を菱形や円形に並べた組石の集合体が外帯と内帯の二重の同心円状(環状)に配置されている配石遺構である。その外輪と内輪の中間帯には、一本の立石を中心に細長い石を放射状に並べ、その外側を川原石で三重四重に囲んでいる。その形から「日時計」といわれており、万座と野中の両方の遺跡にある。 大きい方の万座遺跡の環状直径は46メートルもあり現在発見されている中で日本で最大のストーンサークルである。組石は大きい方の万座では48基、野中堂の方は44基ある。中央の立石は大湯の東方約7~8キロメートルにある安久谷(あくや)川から運んだと推定されており、労働力の集中が見られる。(*^-^)b )
(学校の社会の教科書にも掲載されていた、お馴染みの土偶のモニュメント『亀ヶ岡(かめがおか)遺跡』。現地には遮光器土偶を象ったモニュメントが建てられている、その背後にある谷間の湿地帯から数多くの遺物が出土している。遺跡は、元和07(1622)年に津軽藩2代目藩主の津軽信枚公がこの地に亀ヶ岡城を築こうとした際、土偶や土器が出土したことから発見された。尚、亀ヶ岡城の築城は一国一城令が出たために中断されている。地名の由来となった亀ヶ岡は「甕(かめ)が出土する丘」に由来するとも言われ、またこの地区には湿地帯が多く、築城の際に地面に木を敷いて道路とした事から「木造村」(きづくりむら)と呼ばれる様になった。 これが後の自治体名である木造町(現 つがる市)や、JR 五能線の駅名『木造(きづくり)』に使われている。(*^-^)b))
北海道・北東北に連なる縄文文化遺跡等の世界遺産登録申請に向けて、関係自治体の住民は登録実現へ向けて、気勢を上げ始めた。【写真】御所野(ごしょの)遺跡 / 岩手県二戸郡一戸町)
(今回、縄文文化世界遺産登録推薦に向けていよいよ動き出した。最大の関門であるイコモスの諮問審査が待ち受けて折り、懇切丁寧な対応及び趣旨説明が求められる事になる。的確な対応がなされるか否かによって、世界遺産への登録へ向けての鍵となりそうだ。苦難に満ちた茨の道はまたまだ続き、予断は許されない様だ。)
JG7MER / Ackee
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