イチロー選手、現役引退「大変幸せ」日米通算28年で4,367安打 !! ヘ(゚∀゚*)ノ
平成の時代も間もなく終わろうとしている最中、その平成の一時代を築き上げた一人の名プレイヤーが惜しまれながら現役を引退した。日米通算4,367安打の大打者、米大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(45)=本名 鈴木一朗=が03月21日、東京ドームで行われた、アスレチックスとの開幕第2戦後に都内で記者会見し、現役引退を表明した。メジャー19年目となるプロ28年目の今季、キャンプで結果を出せずに決断したとし、記者会見ではこの日の大歓声に「あんなものを見せられたら後悔などあろうはずがありません」と語った。昨年05月に会長付特別補佐としてフロント入りした後、今年のキャンプで選手に復帰したイチロー選手。しかし、オープン戦から不振が続き、7年ぶりに日本で公式戦出場した03月20日の開幕戦でも1打数無安打、翌21日の2戦目も4打数無安打で途中交代した。交代の際に、両チームの選手に拍手やハグで迎えられる姿が「引退するのではないか」と波紋を呼んだ。だが試合後には「アメリカではよくある演出」などと話しており、引退説は消えたかの様にも一瞬思えた。しかし翌03月21日に事態は一転、米大リーグ・マリナーズの公式Twitterは、イチローの現役引退を発表。「野球で多くの夢を叶えられた。キャリアをスタートさせた日本で終えられる事を誇りに思う」というイチロー選手自らのコメントを寄せた。公式サイトが開幕第2戦の最中に、イチロー選手が引退する意向である事を伝えると、開幕第2戦も1戦目と同様、9番ライトでスタメンで出場。この日は、第1打席がファールフライ、第2打席がセカンドゴロ、第3打席が見逃し三振、第4打席がショートゴロだった。8回裏の守備に一旦就くも、監督から交代が告げられた。ベンチ前で、今季西武から大リーグへ移籍した、菊池雄星投手を始めとするチームメイトやスタッフに迎えられ、1人1人とハグを交わして、ベンチに下がった。対戦相手のアスレチックスの選手も立ち上がって拍手を送っていた。イチロー選手の現役生活が終わりを迎えた。試合終了後の記者会見では、これを念頭に置いて、「あんなものを見せられたら、後悔などあるはずがありません。最後にこのユニフォームを着てこの日を迎えられた事、大変幸せに感じています」」と振り返った。また試合後の5万4,000人の観客の拍手と大声援が20分以上も続き、グランドに再び呼び戻されてファンに最後の別れを告げた時のパフォーマンスについて「日本のファンの方の熱い思い。それを表現した時の迫力は、今までに想像出来なかった事。これは最も特別な瞬間になります」とこの様に述べた。イチロー選手は愛工大名電高校から、平成04(1992)年にオリックス・ブルーウェーブにドラフト4位で外野手として入団。平成12(2000)年まで同チームに所属し、首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞など数々のタイトルを獲得した。日本最後の年となった、平成12(2000)年に打率.387の自己最高打率を記録し、球界初の7年連続首位打者に輝いた。平成13(2001)年にポスティングシステムを使って米大リーグに挑戦し、マリナーズに入団。米大リーグでも首位打者、盗塁王、ゴールデングラブ賞など数々のタイトルを獲得。ヤンキース、マーリンズを経て、平成30(2018)年にマリナーズに復帰した。マーリンズ時代の16年には日米通算4,257安打を達成し、これがギネス記録に登録された。国際大会での活躍も印象的で、平成18(2006)年、平成21(2009)年のWBCに出場し、日本の2連覇に貢献した。日本人野手として初めてメジャー挑戦した平成13(2001)年・マリナーズでシーズン242安打の打率.305.、8本塁打、69打点、56盗塁でアメリカン・リーグ最優秀選手と新人王を同時受賞。平成16(2004)年にはメジャー新記録の262安打。メジャーデビューから10年連続で200安打以上、ゴールドグラブ賞、オールスター戦選出をも果たした。今後の引退後の過ごし方については「ゆっくりしたいとかは全然ないんですよ。多分動き回っています」とコメントし、加えて日本の球団でプレーする意思はなかったのかという質問に対しても「なかったですね」と、キッパリと言い切った。また『現役選手を終えたら、監督や指導者になったり、タレントになったりしますか?』質問に対し「あんまりシンプルじゃないですね(会場笑)。監督は絶対無理ですよ。絶対がつきますよ。人望がない。本当に。人望がないですよ、僕。それぐらいの判断能力は備えているので。」とキッパリと答えた。(^-^)/ イチロー選手は最後に「辛い事、シンドイ事から逃げたいと思うのは当然の事なんですけど、でもエネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく、その事は凄く人として重要な事なんではないかなという風に感じています」との言葉で締め括り、会見は終了。笑顔も交え、最後はイチローらしさを終始みせていた。日米通算で4,367本。プロ28年間、打って、走って、守って多くの感動を多くの人々に与え続けきたイチロー選手。正に平成の一時代を築き上げた名プレイヤーが静かにバットを置き、現役生活にピリオドを打った。しかしその5年後には、米国野球殿堂の投票対象者となる。これまでにも日本人初のメジャーリーガーである村上雅則氏や、平成07(1995)年にメジャーの扉を開き現代の日本人メジャーリーガーの『パイオニア』となった、野茂英雄氏でも成し得なかった日本人初の『米国野球殿堂入り』を果たすのか…。現役引退の後もファンにとっての楽しみが待っていると言っても過言ではないだろう。(^-^)/
(東京ドームで行われた大リーグ、対アスレチックス戦で、最後の打席となったイチロー選手。(´・ω・`))
(東京ドームに集まった日本のファンに手を振って別れを告げた、イチロー選手。(^-^)ノ~~)
(試合後、現役引退発表の記者会見に臨んだ、イチロー選手。(-。-;))
(オリックス時代、当初は本名(鈴木一朗)で選手登録していたが中々芽が出ず、カタカナの「イチロー」に選手登録名を変更したのちにめきめきと頭角を現し、それが後々今日の現役引退までに語り継がれたイチロー伝説の始まりの元となった。ヘ(゚∀゚*)ノ)
(パ・リーグで、7年連続の200安打を達成。この記録はいまだ現在、破られていない。ヘ(゚∀゚*)ノ)
(阪神大震災があった、平成07(1995)年にリーグ優勝を果たし、翌年平成08(1996)年に日本シリーズを制覇。『がんばろう神戸』のワッペンを左腕に付け、震災に打ちひがれていた地元神戸を大いに奮い立たせた。ヾ(@^▽^@)ノ)
(オリックス現役時代には師と仰いでいた、仰木 彰 監督(左 / 故人)と握手をするイチロー選手。(ノ^^)八(^^ )ノ)
(2009 WBC ワールドカップ決勝の対韓国戦、10回表二死、走者二、三塁。イム・チャンヨン投手から粘って8球目をセンター前へ決勝タイムリーを放ち、2年連続のワールドシリーズ制覇へ大きく手繰り寄せた。この場面の一打は、野球ファンのみならず、国民の全てが知る伝説となっている。ヾ(@^▽^@)ノ)
(2大会ワールドカップ制覇を果たし、トロフィーを高々と掲げるイチロー選手。о(ж>▽<)y ☆)
JG7MER / Ackee
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