『羽生結玄さん、プロスケーター転向へ』 !! \\٩( 'ω' )و ////
フィギュアスケート男子の羽生結弦さん(27)=ANA、宮城・東北高出=が先般07月19日に、東京都内で記者会見し、「プロのアスリートとしてスケートを続けて行く事を決意した」と話し、第一線を退く意向を示した。「決意表明の場として」記者会見した羽生さんは「これからも自分の事、自分の弱さ、過去の自分を見つめながらより一層頑張っていく。4回転半ジャンプにも挑戦して行く。高いステージに行ける様、理想を追いながら頑張る。羽生結弦の闘う姿を応援して欲しい」とこの様に語った。今後は五輪等の競技会には出場せず、アイスショー出演などプロとして活躍する予定だと言う。仙台市出身の羽生さんは4歳でスケートを始め、平成23(2011)年の東日本大震災を乗り越え、2014年ソチ五輪で同種目の日本勢初の金メダルに輝いた。平成29(2017)年11月に右足首靱帯(じんたい)損傷等の大怪我を負ったが、平成30(2018)年の平昌五輪では同種目で66年ぶりの2連覇を達成。冬季五輪の金メダリストで初めて、個人としては最年少23歳で国民栄誉賞を受賞した。令和02(2020)年に四大陸選手権で初優勝し、男子で初めてジュニア、シニアで五輪、世界選手権などの主要国際大会を全て制覇する快挙を成し遂げた。昨年12月の全日本選手権で2連覇して3度目の五輪代表となり、北京五輪のフリーでは前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑戦して転倒。3連覇を逃して4位に終わり、その去就について「少し考えたい」「(競技会かアイスショーか)フィールドを問わない」と話していた。今年03月の世界選手権は右足首捻挫で欠場していた。記者会見の席上で羽生さんは、次の様に感謝の言葉を述べた。
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「この度はこの様な場に皆さん集まって下さって、そして見て下さって本当にありがとうございます。最初に一つ、もう一つだけ、感謝を述べさせて頂きます。先の一部報道であった通り、色んな事を言われてしまいましたが、その中でも自分の事を、そしてここまで応援して下さっている方々を含め、色んな事を考えながら、お気持ちを大切にして頂きながら、自分が決意を表明する事を常にメディアで発信して下さった方々に、深く深くお礼をさせて下さい。本当にありがとうございました。これまでたくさんの応援のお蔭で、僕はここまで来られました。ここまで頑張って来られました。そして、ここに居て下さっているメディアの方々、そしてカメラマンの方々も含めて、本当にたくさん応援して頂きました。そういった皆さんの応援の力の中で、羽生結弦としてフィギュアスケートを全う出来るのが本当に幸せです。まだまだ未熟な自分ですけれども、プロのアスリートとしてスケートを続けて行く事を決意致しました。本当に、ああ、いや本当に、あの緊張しています。あの、こんなしがない自分なんで言葉遣いが悪かったり、噛んだりしても許して下さい。これからもプロのアスリートとして、競技者としての他のスケーターと比べ続ける、比べ続けられる事は無くなりました。只、これからは自分の事を認めつつ、また自分の弱さと、そして自分の過去の自分とも戦い続けながら、これからも滑って行きたいと思っています。そして4回転半ジャンプにもより一層取り組んで、皆さんの前で成功させられる事を強く考えながら、これからも頑張って行きます。どうか戦い続ける姿をこれからも応援して頂けたら嬉しいです。そして1人の人間として、自分の心を大切にしたり、守って行くっていう選択もして行きたいなという風に思います。僕がこれまで努力して来た事とか、そういった事が応援して下さる方々に評価して頂いたり、見て貰えたり、そこで何かを感じて頂けたり、そんな事が僕は本当に幸せです。その幸せも大切にして行きたいなっていう風に今思っています。色んな選択をして行く中で失望したなとか、もう見たくないなとか、思われてしまうととても悲しいですけれども、それでも自分のスケートがやっぱり見たいなとか、見る価値があるなって思って頂ける様に、これからももっともっと頑張って行きますので、応援して頂けたら嬉しいです。そして、これまで応援して下さったたくさんの方々、今回もどんなどんな決断でも、どんな時でも今回のこんな会見でも頑張れって、緊張するだろうけど、応援しているよって、応援して下さるコメントを寄せて下さってて、本当に僕はいつも救われています。本当にありがとうございました。最後になりますが、羽生結弦として、そしていち人間として、ここまで育てて下さった幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と色んな先生方、そしてフィギュアスケートを教えて下さった先生方、たくさんの先生方、本当にありがとうございました。また、自分の心を、自分の事を大切にしてくれた人達。本当に、本当に本当にありがとうございました。僕は自分の口から決意を言いたいなって思っていたので、事前に大切な人達に言う事は出来なかったんですけれども、それでも何も言わずに自分の事を大切にしてくれて、なんか僕もそういう大切な方々が本当に大切だなって思ったし、またこれからも大切にして行きたいなって思いました。本当に僕なんか、僕なんかの事を大切にして下さり、本当にありがとうございました。これからもより一層頑張って行きます。まだ今までスケートを生で見た事がない方も含めて見て良かったなって、絶対見る価値があるなとか、そういう風に思って頂ける様に、これからも更に頑張って行きます。そして4回転半ジャンプを含めて挑戦を続けて、これからも更に高いステージに行ける様に頑張って行きます。これからはプロのアスリートとして、そしてスポーツであるフィギュアスケートを大切にしながら、加えて羽生結弦の理想を追い求めながら頑張って行きます。これからも戦い抜く姿を応援して下さい。今日、本当にありがとうございます。まだまだ自分の口から、自分で考えてきた事だけだと話せない事はいっぱいあるので、質問いっぱい下さい。そしたら喋れると思うので、どうか宜しくお願いします。ありがとうございました。以上です。」
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と、この様に語った。羽生さんは08月10日、仙台市泉区のアイスリンク仙台で練習を公開し、今後は仙台を拠点に活動して行く考えを明らかにした。エンターテインメントの要素が強いプロの世界でも、羽生さんにとってフィギュアはスポーツ。「足が動かなくなる位に体を酷使し、難しいジャンプを跳べた時は達成感に満ち溢れる。それはスポーツ。同時に表現面を磨いて行けるのが、これからのステージになる」と言う。競技会のルールから解放され、「ハッとする演出も考えている」と楽しそうに今後の構想を練る。「これからも難しい事にチャレンジする。自分の肉体に限界はないと思っている」。言葉には充実感が滲む。冬季オリンピックを2期連続しての金メダルの実績で培ったからには、言葉にもそして次なる新しいステージへの余裕が感じられる。自身がスケートを始めたリンクで、プロとしてのスタートを切り、17歳でカナダに渡った時、「仙台を離れたくなくて泣いた」と言う。地元愛は人一倍。「また仙台で滑れて嬉しい。仙台の皆さんと共に歩みたい。大好きな古里を少しでも支援出来る活動も考えたい」と語る羽生結弦さん。これからはどの様な形でで以って、アイスリンクに華麗な姿で登場するのか、大いに期待して行きたい処である。
(記者会見の席上で、競技の第一線から引退する意向を決めた羽生結弦さん。)
(これまでの競技人生を振り返りつつ、新たなる4回転半ジャンプへの未知なる挑戦を語る、羽生結弦さん。今後はプロスケーターとして、更なる技術の向上を目指しつつ、新しい環境下におけるステージでの挑戦を語った。)
(会見終わりには笑顔を見せる余裕も…。競技人生をやり切った満足感と新たなる挑戦を秘めての会見となった。)
(プロ転向後には、地元・仙台を拠点に活動を始める羽生結弦さん。これからどの様な華麗なる演技でファンを楽しませてくれるのか…。)
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JG7MER / Ackee
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