スキーブーム 復活の兆し…。?w川・o・川w

昭和60(1985)年代から平成02(1990)年頃の昭和・平成のバブル景気で、一気に盛り上がった冬のウインター・スポーツの代表格と言えばスキーである。(^-^)/ 筆者自身もこの時代を実際に経験した事のある直撃世代として、この時期各地のスキー場へは、朝早くから大勢のスキーヤーが訪れ、スキーキャリアを据え付け、お気に入りの各スキー場のロゴマーク入りのステッカーをクルマに貼るのが流行った時期でもある。(*^▽^*) 当時のスキー場周辺は大変な混雑に見舞われた経験を持つ経験者の方達も多い筈である。(^-^)/ 昭和62(1987)年11月21日に公開された、「ホイチョイ・プロダクション」原作で、原田知世主演の日本映画『私をスキーに連れてって』が、当時空前のスキーブームの火付け役となり、冬の一大レジャー産業のシンボルともなった。リフト待ちの時間も30分待ちそれ以上は、当時は当たり前の出来事でもあった。(  ゚ ▽ ゚ ;) しかしバブル景気崩壊後、空前の大不況に陥ると、スキーブームは徐々に下火となり、廃業を余儀なくされるスキー場が各地で続出する様になった。ヽ(;´Д`)ノ それから既に30年余りが経過しここに来て、平成24(2012)年辺りから少しずつではあるがスキーブームが復活の兆しになっていると言うのだ。\(゜□゜)/ スキー人口のピークは平成05(1993)年の1,770万人(レジャー白書)。丁度「屋内スキー場・ザウス」がオープンした年である。SBIホールディングスが運営する『保険の窓口インズウェブ』が、バブル景気経験世代にあたる40代~50代の男女に対してアンケート調査を行なったところ、78%もの人が「スキーもしくはスキーボードの経験がある」と回答した。この数字を見ても、当時いかに流行していたかを想像できる。スキー人口だけを見てみると、平成05(1993)年を境に人口は減り続け、平成24(2012)年は560万人と3分の1まで減少した。しかし「機会があれば今後スキー・スノーボードに行きたい」(56%)、「機会を作って必ず行きたい」(5%)と考えている人も実は多く、そのうち35%が「自分の子ども」と出掛けたいと回答している。(^-^)/ また、調査結果によると、スキー&スノーボードの経験者のうち、46%が最近5年以内はスキー&スノーボードに行ってないと回答。昭和57(1982)年頃に、親に連れられて初めてスキーに行き、平成09(1999)年頃まではカップルで行っていたが、最近では子供が出来て家のコタツでインターネットを利用している風景が想像される。そのかつて大人気だったスキーレジャーに、復活の兆しが見え始めた要因として、当時のブームを担った世代が親になり、子連れで再び楽しむようになったためだと言う。こうした動きは「リバイバル需要」と呼ばれ、レジャー業界は熱い視線を送っている。これまで経営に苦しんできたスキー場サイドも必死になって巻き返しを計っている。子供向けゲレンデを作り、3歳から入れるスキー教室を新設。小学生以下の子供のリフト券を無料にしたり、子供向けの雪遊び場を拡張したり、子供を預けて親が遊べるように、託児施設も用意する等他、家族で使える更衣室の設置の整備など、各スキー場は集客の手をあれこれと知恵を絞っている。A=´、`=)ゞ 更に、北海道のリゾート型スキー場は外国人客の割合が多いため、その対応やサービスにも力を入れている。スキー場では案内板の英語表記を増やし、外国人の従業員も昨シーズンから増員させ、また無料でネット利用できるWi-Fiも導入したと言う。こうした血の滲む様な取り組みが評価されたのか、この正月明けにはキャロライン・ケネディ駐日大使が家族で北海道を訪れ、スキーを楽しむ様子をツィートして話題にもなった。(^-^)/ しかし、だからといってスキー人気がこのまま復活するとは限らない。日本の人口は減り続けており、景気の先行きは不透明。テーマパークなど、レジャー施設も他にもたくさんある。スキー人気は回復傾向に向かいつつあるものの、業界に見えてきたのはまだ薄明かりに過ぎないのだ。(・_・;) 果たしてこの緩やかなスキーブームの回復基調、本格的上昇気流に乗る事が出来るのか、暫くは時間が掛かる事だろう。φ(.. )

(空前のスキーブームの火付け役となった『私をスキーに連れてって』(主演 原田知世)。これがキッカケとなり、その5年後に空前のスキーブームが巻き起こった。o(〃^▽^〃)o)


(携帯電話が一般化していなかった当時、アマチュア無線を仲間との連絡用に使用していた。便利さと機動力の高さが上手く表現されていたため本作をキッカケに、アマチュア無線局が急増した。(°∀°)b しかしその裏で、周波数区分帯(バンドプラン)を守らない。コールサイン(呼出符号)も言わない、アンカバー(不法&違法)局が横行したのもこの時代だった。(→o←)ゞ劇中で使用されていたアマチュア無線用・トランシーバーはアイコム(ICOM)製の『IC-μ2』、『IC-28』だった。(*^-^)b

(劇中の出演者の中で、アマチュア無線のライセンスを所持していた、たけのこ族出身で、“ヒロくん”の愛称で親しまれた、沖田 浩之さん<故人>。ヾ(@^▽^@)ノ ハンディー無線機を片手に劇中で登場したシーンは余りにも有名。ヘ(゚∀゚*)ノ 39歳での早逝は余りにも惜しまれる。(iДi)氏のコールサインは『JI1TQE』だった。(b^-゜))

(スキーバブル全盛時、今の世代には理解し難い位、当時の国内各地のスキー場は、スキーブームに便乗した若者、家族連れでごった返しした。w川・o・川w 実際に当時のスキー場の状況を十分に知り尽しているだけに、リフト&ゴンドラの待ち時間が、2~30分は当たり前の常識だった。。(;°皿°) そこまでの偏った状況に行きつかないまででも、当時若者だった世代も親世代となり、子供連れでスキーリクリエーションと言った、リバイバル需要を取り戻す事が出来るかが、カギとなる。(b^-゜) ) < 苗場スキー場 / 新潟県南魚沼郡湯沢町 >

(今年は『私をスキーに連れてって』が配信されて、30周年が経過。(=◇=;) JR東日本は『私を新幹線でスキーに連れてって』のキャッチコピーで、JR東日本各駅の掲示板にPR広告を出して、巻き返しを図る。果たして30年前のあの栄華を、現在の若者世代の心を掴む事が出来るか…。(o^-')b)

【挿入曲】

( ♪『恋人がサンタクロース』/ ユーミン (松任谷 由実) )

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