『那須高原の “殺生石” 真っ二つ割れ騒動の真意とは』 !! (,,•﹏•,,)

ここ最近、世界的にコロナ禍と共に不穏な動きと言うか、好ましくない紛争に該当する事態が一部地域で勃発している。そんな何とも精神的にザワザワとして落ち着かない状況での最中、国内のとある場所に於いてちょっとした異変が発生し、全国的な話題となっている。妖怪『九尾(きゅうび)の狐(きつね)』の伝説が言い伝えられる栃木県那須町の国指定名勝史跡『殺生石(せっしょうせき)』がそれである。異変のキッカケとなったのは、03月05日の夕方に現地を訪れた観光客のツイッターがきっかけで広がった。「見てはいけない者を見てしまった気がします」。と言う呟きは一気に全国へ拡散し、地元那須町役場は情報収集に追われた。関係者によると数年前からひびが入っていた事が確認されている事から、自然に割れたと見られる。那須町役場観光商工課は、観光客が投稿したツイッターの情報等から、割れたのはここ数日ではないかとみている。しかも岩は真ん中付近から割れており、周囲を囲んでいた注連縄も切れていたと言う。那須町は今後、国、栃木県と共に対応を協議する予定で、同課の担当課長は「自然現象の可能性が高いので致し方ない。可能であれば元の形に近い状態に戻す事が理想ではないか」と話す。また地元那須町観光協会会長は、記者の取材に対し「夕方に知らせを受けて驚いた。こういう形で話題になるとは」と困惑した様子だった。殺生石は、那須湯本温泉近くの那須岳の斜面にある巨大な溶岩で、昭和32(1957)年に県史跡、平成26(2014)年に国の名勝に登録された。室町時代の文献等によると、『九尾の狐』が美しい女性に化けて鳥羽上皇を殺そうとした処を陰陽師(おんみょうじ)に見破られ、那須まで逃げた末に退治されて石になった。石が放つ毒気で多くの生き物が命を落としたため『殺生石』と名付けられたという。遡る事江戸時代には、『奥の細道』で知られる、俳人・松尾芭蕉と門人・河合曾良が同地を訪れた事もあると言う伝説の地でもある。今回のこの珍事、発生から2日後の同月07日、硫黄の臭いが漂う殺生石の周辺には、那須や宇都宮の県内ナンバーの車が十数台。「今日は多い。一大事だ」と地元の人が声を掛けてきた。駐車場から数分。殺生石はまるで刃物でスパッと切られたかのように割れ、傍には片割れが転がっていた。雪を被り、石を囲っていた全長8mの縄は解けて確認出来なかったと言う。宇都宮市から来たと言うの60代の自営業を営む男性は「何かの崇りじゃないか」と目を丸くした。約1km先には「恋人の聖地」と呼ばれる展望台もある。「割れる」と言うのは何となく不吉だが、千葉県印西市から来た40代の女性会社員は「未来が切り開かれる、と思えば良いのでは。」とこの様に語る人もいる。だがその一方では今回の事態に『不吉の予感』を彷彿させるSNSでの投稿も目立っている。女優でジャーナリストの深月ユリア氏は、石が割れていたことが最初に確認された「03月05日」という日付に注目し、歴史上の事実を踏まえながら、現在のウクライナ危機から「再び冷戦が起こる」予兆ではないかという仮説を私見として綴っている。日本における『九尾の狐』伝説に纏わる話。実は中国、インドでも同様に『九尾の狐』に関する伝説がある。中国では、 紀元前11世紀頃の中国・殷(いん)の時代で、紂王(ちゅうおう)は妲己(だっき)という美女を寵愛したが、彼女の正体は「九尾の狐」だった。妲己は無実の人々を拷問しながら処刑するのを楽しんでいた。悪政も要因となり、殷は周の武王に攻め滅ぼされ、紂王は自殺した。妲己は囚われ、「照魔鏡」という人間に化けた妖怪の正体を暴く鏡を投げ付けた処、 『九尾の狐』に姿を変えて消え去ったと言う伝説がある。またインドでは、耶竭陀(まがた)国の班足太子が寵愛した華陽婦人が「九尾の狐」の化身だった。彼女は千人もの人の首を切らせるなどの虐殺を働いたが、正体がバレてしまい、正体を現して北の空へと逃げていったと言う伝説が残っている。今回『殺生石』が割れた事で「不吉な予兆ではないか」と、囁かれているひとつ要因としては、実際にウクライナでの戦争の真っただ中だった事もあり、インターネット上では「ウクライナ戦争が第三次世界大争に戦火が拡大するのか」「プーチンが狂った原因は、九尾の狐がとり憑ついたから」「プーチンの怨念か」など、様々な噂があるからだ。今回のウクライナ戦争で、世界は欧米VSロシアと親ロシア諸国と、冷戦以前の構造に分断された感ある。それともうひとつの要因として挙げられるのは、偶然にも石が割れていた事が判明した「03月05日」という日付は、76年前の昭和21(1946)年03月05日、イギリスのチャーチル元首相(当時)が訪米中に「鉄のカーテン」演説で、旧ソ連の東欧諸国囲い込みを批判し、自由主義陣営の結束を呼びかけた日と符号している。つまりこの頃から「冷戦」という言葉が生まれた要因でもある。今回の『殺生石』の真っ二つに割れた一連の珍事。国内だけでなく海外でも反響があった。『殺生石』自体が元々ひびが入っていた事等から、単純にウクライナ戦争と結び付けるのは拙速ではあるが、今現在も以って収まる気配のない戦火。単なる偶然なのかそれとも不吉な予兆の前触れなのか…。当然、その真っ二つに割れた真意は、石自体にしか分からない上に、正にミステリーを呼ぶ一因となっている。とにかく今現在に於ける世相を鑑みれば何となく澱んでいる空気が覆っている雰囲気は否めない。未来を切り開く新しい時代への幕開けとなる割れ方であればまだしも、間違ってでも戦火への導火線となる予兆を示す不運な割れ方でない事を願うばかりである。(,,•﹏•,,)

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訪米中にチャーチル英国首相(当時)が発した逸話。

「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある)。- ウィンストン・チャーチル」

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(古くから周囲に毒気を吐き、鳥や虫を殺すと言う伝説を持つ“殺生石”の原形)《破断前》

(今年03月05日、SNSで“殺生石”が真っ二つに割れていた話題から、今回の騒動に発展した)

(殺生石に纏わる由来。)

(同地へは、江戸時代の俳人・松尾芭蕉と門人・河合曾良が『奥の細道』の道中で、訪れた事がある。)


(今から76年前の昭和21(1946)年03月05日、イギリスのチャーチル元首相(当時)が訪米中に「鉄のカーテン」演説で、旧ソ連の東欧諸国囲い込みを批判し、自由主義陣営の結束を呼びかけた。偶然にも石が割れていた事が判明した「03月05日」と同じ符合という日付は一体、何を意味しているのか?)

(世界的に懸念しているロシアのウクライナへの軍事侵攻、あってはならない事態であるだけに、しかも軍事侵攻している最中に起きている最中に “殺生石” が真っ二つに割れただけにこれが不吉の予兆の引き金と言うか悪魔の啓示に成ってしまうのか?一日も早い紛争解決への啓示であって欲しいものだ。)

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