『田 中 将 大 投手 8年ぶりの日本球界へ復帰』 !! (((o(*゚▽゚*)o)))

コロナ禍が中々終息の目途が付かない最中、久々にスポーツ界に於いては、ビッグなニュースが飛び込んだ。大リーグ・ヤンキースをフリーエージェント(FA)となり、今シーズンの所属先が決まっていなかった田中将大投手が、古巣のプロ野球 東北楽天にゴールデンイーグルス復帰する事が決まった。日本球界でプレーするのは、楽天を球団初のリーグ優勝と日本一に導いた平成25(2013)年以来、8年ぶりの出来事となる。田中投手は大リーグのヤンキースで昨年まで7年間プレーをしていたが、昨シーズン終了後にフリーエージェント(FA)となり、所属先が決まっていなかった。大リーグは昨シーズン、新型コロナの感染拡大で試合数が大幅に減った上、レギュラーシーズンは全て無観客で実施されたため、各球団の収入が大きく減少し、資金力のあるヤンキースも今シーズンは選手の年俸総額を抑える方針でいた。こうした状況の中、楽天球団はは田中投手と交渉を進め、01月28日に入団する事で合意したと発表した。背番号は楽天時代に付けていたエースナンバーの『18』に決まった。01月30日の入団会見。「楽天の18番」を完全無欠の背番号へと昇華させた男が、そう決意を新たにした。2日前の01月28日。ニューヨーク・ヤンキースをFAとなっていた田中の楽天復帰のニュースは、日本球界のみならず、日本中が沸いた。昨年までの7年間でメジャーリーグ通算78勝。ちょっと古い表現なのだろうが、「現役バリバリのメジャーリーガー」が日本に降り立つ。況してや、その選手があの田中将大であれば、興奮しない訳がない。周りが抱く高揚感。それは本人も同じだ。記者会見の席上、田中投手は「また野球ファンの皆さんの前でマウンドに上がって、投げられる。ワクワクが抑えられない状態です」と語り、何処か吹っ切れた様な笑顔で、穏やかに、だがしっかりと言葉を刻む。決断に至るまで「本当に今まで考えた事がない位に考えて、悩みに悩み抜いた」と田中投手は胸中を述べた。FAとなった直後は、ヤンキースと再契約をして新たなシーズンに臨みたい----それが田中投手の本音だった。田中投手が海を渡ってから掲げ続ける目標。「世界一となってチャンピオンリングを手にする」という、悲願達成を叶えるためである。実際、メジャー球団のなかで「7年間を物凄く評価して頂き、大きなオファーというのもありました」と、会見の場で田中投手の口から明かされており、その挑戦権が完全に失われたわけではなかった。しかしそれでも、古巣楽天を選んだのには大きな理由があった。ひとつには、今年で東日本大震災から節目の10年目を迎える事だ。ヤンキースに移籍後も、被災地訪問やチャリティ活動など復興支援を精力的に続ける田中投手は、楽天入団の決め手にその事を挙げた。「やはり、『自分にとって意味のあるタイミングなんじゃないか』と思った。今まで以上に(被災者の)近くにいられる事で、また僕に出来る事がたくさんあるかも知れない。出来る限り協力していきたいですし、一緒に頑張っていきたい」これが「人間・田中」として出した答えなら、「選手・田中」として楽天を選んだのは何故か。それはきっと、投手としての矜持だった。「イーグルスでプレーをして、また日本の方々の前で投げる。そこを上回るものが最後までなかった」その様に意思を綴る田中投手には、実は平成26(2014)年に海を渡った当初から秘めていた想いがある。「誤解を招いたり、話題が独り歩きするのも嫌だったから、頑なに答えなかった」と心情を漏らしてから、その言葉を解放した。「必ず日本に帰ってくる。楽天イーグルスで、キャリアの晩年ではなく『良いタイミングでバリバリと投げたいな』と」田中投手自身にとって、ベストなタイミングだと判断したのが今だった。だからこそ"大きなオファー"を断ってでも、古巣を新たなキャリアのスタートに決めた訳だ。同時にそれは、楽天で全てを手に入れた男にとって、更なる高みへの挑戦でもある。会見で田中投手が紡いだ言葉の中で、印象深いものがあった。「正直、2013年で皆さんの印象が止まっていると思う」この年の記録と記憶は、野球ファンであれば誰もが鮮明に呼び起こす事が出来る。シーズン開幕から24連勝。無敵の絶対エースは楽天を初の日本一へと導き、震災復興を目指す東北の「シンボル」となった。幾らヤンキースの主戦投手として実績を積んだ田中と言えど、そう易々と越えられる山ではない。それは田中投手本人が一番理解している。只、見上げる山が高ければ高いほど気力を漲らせるのも、田中将大という投手でもある。「凄く求められているハードルが高いと思っていますけど、『そこを飛び越えてやろう』という所も、自分のやりがいのひとつだと思っています。1試合でも多く、チームに勝利をもたらす投球が出来れば良いなと」あくまで、目指す頂は8年ぶりの日本一。あの時と同じように、歓喜の輪の中心で拳を天に掲げる事が出来れば、個人の成績もおのずと付いて来る。止まっていた時計の針が動き出す。帰ってきた楽天の絶対エース。伝説の新章は、再びまた杜の都のマウンドから始まる。楽天ゼネラルマネージャーを兼任する石井一久監督は田中投手との入団合意を受けて報道各社の取材にオンラインで応じ、田中投手本人から01月28日午前中に入団の意向を伝える電話があり「楽天でお世話になります。優勝に精一杯貢献出来る様に頑張ります」とこの様に語った。その上で石井監督は「ホッとした。優勝を目指す特別なピースだ。現場として心強い」と喜びを表し、また今年03月で東日本大震災から10年になる事に触れて「今年は特別、大事なシーズンだと田中投手とも話した。そういう特別な年に楽天復帰に導かれるのは、スペシャルな選手にしか有り得ないタイミングだと思う」と話した。球団によると、田中投手の契約期間は2年で、年俸は推定で9億円に出来高払いで、巨人の菅野智之投手の推定8億円を上回ってプロ野球史上最高の年俸となった。田中将大投手は32歳。兵庫県出身で北海道の駒大苫小牧高校で2年の夏に投手陣の柱として甲子園連覇に貢献し、翌年の決勝では早稲田実業の斎藤佑樹投手(日本ハム)と引き分け再試合まで戦って高校野球の歴史に残る熱闘を繰り広げた。平成19(2007)年のドラフト1位で楽天に入団し、1年目から11勝を上げて、新人王に輝き、平成25(2013)年には24勝無敗1S、防御率1.27という圧倒的な成績を残して、球団初のパ・リーグ優勝と日本シリーズでの日本一に導いた。翌年からは大リーグヤンキースに移籍し、日本選手で初めてとなる6年連続で2桁勝利を上げる等、先発ローテーションの一角を担っていた。田中投手はプロ野球で99勝、大リーグで78勝をあげ日米通算では177勝をマークしている。震災から10年となる今年、活躍の舞台を大リーグからプロ野球に移し、再び被災地 仙台市に本拠地を置く古巣 楽天でプレーする事に、震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町では、再び被災地を元気づけて欲しいと期待の声が聞かれた。町内で薬局を営む60代の男性は、楽天の応援団の一つ「楽天イーグルス南三陸町応援協議会」の会長を務めている。田中投手の活躍で楽天が初の日本一に輝いた平成25(2013)年の日本シリーズでは、被災した町民を元気づけようと、当時まだ仮設だった『南三陸さんさん商店街』でパブリックビューイングを企画し、選手達に声援を送り、田中投手が大リーグに移籍してからも、テレビで試合を観戦する等して応援を送り続けて来た。「私自身、津波で店を流され、大変な時期もありましたが、この10年を振り返ると、田中投手の活躍にとても元気づけられました」と語った。節目と言える年に田中投手が楽天に復帰する事について「今は新型コロナウィルス、被災地だけでなく国内みんなが苦しいですが、彼のプレーで再び元気を与えて欲しいです」と期待を寄せた。数々の伝説を作り続けてきた、田中将大投手。東日本大震災から10年目に中る今年、再び東北の地古巣楽天に帰ってきた。しかも国内は世界的に猛威を奮う新型コロナウィルスの恐怖に脅えながらも7年間に渡る遥か海の向こうのアメリカ大リーグで培ってきた様々な期待やプレッシャーと戦いつつも実力を付けつつ、再び日本プロ野球界に舞戻って来た。管理者の居住している宮城・仙台のみならず、東北6県そして日本国内全体が田中投手の活躍をセ・パ両リーグの垣根を超えて、活躍を期待している事は確かである。時代が激動を予感させる令和に突入して3年目。これまでの昭和、平成の時代のプロ野球とは一味も二味も違ったスケールの大きいピッチングをプロ野球ファンを始め多くのスポーツファンが注目していると言えるだろう。その活躍の球春を告げるPLAY BALLも間もなく始まろうとしている。(*^―^*)b

(01月28日に楽天への入団を正式に決断、2日後の01月30日に入団記者会見を発表した、田中将大投手。)

(三木谷浩史オーナーから、嘗ての背番号『18』を手渡され、新たなる第二章の伝説が始まろうとしている。)

(インタビューに笑顔で応える、田中将大投手。果たして今年はどの様な活躍を見せるのか? )

(平成25(2013)年11月03日、日本シリーズで巨人を破り、球団創設9年目で日本一を獲得。パ・リーグペナントレース、クライマックス・シリーズ(CS)、日本シリーズ制覇と、何れの場面に於いて、やはり最後に勝利を呼び寄せたのは、田中将大投手だった。)

(仙台市内で行われた優勝パレードで沿道のファンに手を振る田中将大投手、この後日本一と言う大きな置き土産を球団に残し、大リーグへと移籍した。)

(大リーグ ニューヨークヤンキースへ入団発表する、田中将大投手)

(日本プロ野球で99勝。大リーグで77勝と日米通算177勝を上げた,狗鷲の大エースが再び、日本球界、しかも東北の地に降臨する事に…。)

(田中将大投手のシーズン通しての成績。今年は日本球界に活躍の場を移し、ここから更にまた新たなる記録の1ページの歴史が刻まれる事に…。)

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【動画】田中将大投手の入団記者会見《ノーカット》

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