『テレビ界の異変?次々と消える、2時間ドラマ放送枠の謎』 !! (⦿□⦿;)
ここ最近、色んな各層から地上波に於けるテレビ番組に魅力が無くなってしまったとの声が多く聞かれる様に成った。嘗ての平日の夜9時台のゴールデンタイムに放送されていた「火曜サスペンス劇場(火サス)」、「土曜ワイド劇場(土ワイ)」等、嘗ては一世を風靡した民放2時間ドラマ枠の時間帯。だがここ最近は、いつしか櫛の歯が欠けるように姿を消してしまい、一時は絶滅してしまった。 2時間ドラマの開始から45年余り、名作や名優を生んだ人気枠に一体何が起きてしまったのか?検証してみる事にする。
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じわじわと視聴率がことごとく低下し、遂には完全消滅の危機に喘ぐ2時間ドラマ。そもそも2時間ドラマの歴史は、昭和45(1970)年辺りに遡る。当時、庶民のテレビの目玉は洋画で、各局が日替わりでゴールデンタイムで洋画を放映していた。しかしその所為で、放送権料が高騰し「成らばその金額で、テレビ用に新作映画が作れるのではないか?」とテレビ朝日が考えたのが発端だったと言う。その先駆けは、昭和52(1977)年に始まったテレビ朝日系の『土曜ワイド劇場(土ワイ)』が始まりで、元々は、米国の長編テレビ映画をヒントにしたもので、昭和54(1979)年からサスペンス・ミステリー路線に特化して評判になった。これに他の民放各局が追随し、日本テレビ系の『火曜サスペンス劇場(火サス)』等のレギュラー枠が誕生した。最盛期の平成元(1989)年から同02(1990)年には、民放4局で週8本が放送される戦国時代に突入し、平成13(2001)年にはテレビ東京系の『女と愛とミステリー』が参戦した形と成った。それぞれの枠からはヒットシリーズが誕生し、市原悦子主演の土ワイ『家政婦は見た!』は、昭和59(1984)年に同枠最高の視聴率30.9%を記録。テレ朝系の看板刑事ドラマ『相棒』も平成12(2000)年に同枠で初回が放送され、その後も好調だった事から平成14(2002)年から連続ドラマ化された。火サスからは『監察医室生 亜季子』『弁護士 高林鮎子』『検事 霞夕子』等のシリーズものが生まれ、何れも高視聴率を稼ぎ出した。また、『浅見光彦』や『十津川警部』等、局の垣根を越え複数の枠でシリーズ化される主人公も生まれた。何れも中高年層を中心に底堅い人気が続いたが、平成22(2010)年代の半ば頃から視聴率が徐々に低下し始めた。バラエティー番組等に比べて制作費がかさむ割に「数字が取れず、企画そのものが通らない」(民放宣伝担当者)状況に次第に追い込まれる様になり、老舗枠が次々と消えた。そして一昨年の令和03(2021)03月、TBS系の『月曜名作劇場』が終了した時点で、民放2時間ドラマ枠は一時、完全消滅。バラエティーやニュース番組に取って代わられた。それにより『有名旅館・ホテルでひと風呂』『グルメに舌鼓』『謎解きは崖の上で』というお約束ごとにパターン化される事が多く成った。言わば「終了30分前から見ても大丈夫」という妙な安心感に浸る事も出来なくなってしまった。フジテレビ系の『金曜エンタテイメント』の定番だった片平なぎさ主演『赤い霊柩車』の様に、枠が消えた後も放送されているシリーズもあるが、往時の2時間ドラマ文化に慣れ親しんだ世代からは「民放は若者向けドラマばかり」と嘆く声が続出しているのがもっぱらだ。そういった状況で手を差し伸べたのがテレビ東京で、昨年04月に『月曜プレミア8』をスタートさせ、2時間ドラマとバラエティーをほぼ半々の比率で放送するようになった。番組のチーフプロデューサーが背景を語るとこの様な答えが返って来た。「地上波全局から枠が消滅した後も、このジャンルを根強く支持してくれる視聴者が少なからずいるとの実感があり、バラエティー番組との共存枠ならそんな声に応えられるのではと考えた」と言うのその理由だと言う。以前より制作本数が減った分、企画を吟味し、脚本やキャスティングに時間を費やせる様になり、また他局が過去に放送した有名原作シリーズをテレビ東京風にアレンジする事にも挑戦し、関東圏域での視聴率は、高橋英樹主演『再雇用警察官』が10.1%、船越英一郎主演『十津川警部の事件簿 危険な賞金』で、9.2%、伊藤淳史主演の『内田康夫サスペンス 新・信濃のコロンボ』で8.7%等の他、概ね7~8%台と、局側としてはまずまずの数字で推移している。しかし嘗て黄金全盛期と言われた『2時間ドラマ』。時事ネタや流行を逐一取り入れ、20~30代の女性を中心に視聴率を稼いだのが、何故こんなにまでここまで失速して落ちぶれてしまったのか?ひとつには製作の歪みが出始めた事がそもそもの始まりだった。各局が挙って競う様に放送し、少しでも面白い企画は製作会社に発注をしていた。しかし他局の成功例を真似た番組が次々と続出したため、丁寧な単発作が減り、楽に作れるシリーズものが増えてしまったのが要因だと言う。更に時代が昭和から平成に替った後の1990年代以降に入ると、「月9」が先導する連続ドラマの復権が始まりこれがトレンディーの象徴とされたのと引き換えに、2時間ドラマはもはや時代遅れと言う風潮が高まり、放送枠は次第に減少傾向となってしまった。2時間ドラマは元々、季節感を考慮して撮影から1年後に放送されるケースが殆どだった。つまり2、3年遅れは当たり前の暗黙の常識が成り立っていた。しかしこれが逆に視聴者から「トレンドからズレている」と批判される一因に成ってしまい、人気シリーズに於ける衣替えを余儀なくされる事と成った。平成04(1992)年以降から、フィルム作品からビデオ作品に摂って替わった。しかもフィルムと違ってビデオの映像は生々しく身近な印象を与えるため、テレビ用の映画としてスタートした『2時間ドラマ』が普通のテレビドラマに成り下がってしまった事も言わば『2時間ドラマ』消滅への墓場へ夢先案内路に替ってしまった。しかもこの頃から2時間枠のバラエティー番組がトレンドとして登場し、非日常から日常への揺り戻しも大きなうねりと成り、形を変えた『2時間ドラマ』自体も変化せざるを得なかった。お決まりのセリフや場面設定が設定が多く成り、嘗て『2時間ドラマ』の中で設定されていたお色気等の過激な表現への規制が徐々に強まり、流行からも遅れ気味に成り、逆に残った様式美がお笑い等のバラエティーの対象と成り、ドラマの中のお決まりパターンが弄られキャラの対象に変貌してしまった。今では昼の地上波やBS・CSで再放送されるに側替ってしまった『2時間ドラマ』。唯一、地上波で放送している、テレビ東京の番組のチーフプロデューサーは、「変に変化球を投げても、大抵失敗するんですよ。王道の刑事ものが少なくなった分、逆に視聴者ニーズがあるのではないか。高校野球の様なもので、2時間ドラマは余り進化させない方が良いのかも知れない。」としみじみと語り最後には「今、コンスタントに2時間ドラマを制作しているのは弊社だけなので、以前より期待されているとは感じる。只、それが2時間ドラマ全体の復活と言う処まで到達しているとは思わない。配信等で従来の地上波モデルが変革期を迎えている中、2時間ドラマも守る所は守り、変える所は変え、新たな在り方を作っていきたい」とこの様に語る。嘗ての様な元気が無くなった『2時間ドラマ』。推理を軸にあらゆる要素を詰め込んだ、所謂『娯楽の総合デパート』であるが、嘗ての様に本当に逞しい復権の日は来るのか…。ドラマ好きのファンにとっては何とももどかしい限りである。(⦿□⦿;)
(嘗ての地上波に於いては、2時間枠のテレビドラマが全盛期だった。ドラマのヒットにより、一躍知名度を上げた、俳優陣も数々多かった。)
(嘗て2時間ドラマの中で、人気を博した『十津川警部シリーズ』。この頃が、言わば各局とも「2時間ドラマ」枠の全盛期を博していた。当時、角川書店が仕掛けた推理小説ブームり余波に乗った事が伺える。)
(2時間ドラマの末期に成ると、何故か最終場面での落とし処は断崖絶壁の崖シリーズと言うパターンに…。「非日常的な空間から日常的空間に取り戻す」との合言葉で、見通しの良い断崖絶壁がトレンドとなった。崖シリーズと来れば、必ず刑事役で登場する、船越栄一郎さん。ドラマの締めのラスト15分前、お決まりパターンだ。)
(嘗て日本テレビの“火曜サスペンス劇場”で出演者に配られていた台本の一部。)
(2時間シリーズ、一作品でヒットをすると、テレビ各局は、競う様に放送するものの、面白い作品は、製作会社へ丸投げで委託。このため、タイトルは違えど台本の中身は、何処かの局で放送した内容と似通った、焼き直し版みたいなシリーズがこのあと謁見する事に…。言わば丁寧な単発作は減り続け、楽に作れてしまう作品が横行する事に…。これがいわば2時間ドラマの衰退の序章の始まりだった。)
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JG7MER / Ackee
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